勉強途中の息抜き・・引越山定光寺は春の準備です。

今日は早起きをして、慶應通教の「日本史概説」の2コマ。
テキストも“日本の近代”に入っていますが、内容が濃く1コマに二時間以上はかかるでしょうか?中世の1コマの倍はかかります。
昼すぎに「国語学」・・これは、なかなか手ごわいので、途中で南図書館に行って「日本国語大辞典」をコピー。ついでに方言辞典も。
というわけで、午前中は“引きこもり”気味だったのですが、午後になって俄かに活動的な休日となりました。
 
南図書館に向かう途中、定光寺というお寺に立ち寄りました。
 
イメージ 1
 
このお寺は「引越山福寿院定光寺」と言います。今の“平戸桜木道路”から定光寺への参道前を左にそれて、旧道が走ります。
 
イメージ 2
 
本堂の前に、庚申供養塔(文三)と庚申道標があります。
 
イメージ 3
 
庚申道標は寛政十年のもので「左ぐみょうじ道」と刻まれています。
 
この定光寺には「根本武夷の墓」があります。
根本武夷は横浜の文化人で元禄二年(1698)弘明寺村の名主の家に生まれました。若年時に江戸に出て、儒学者荻生徂徠に学び、その後、下野の足利学校で学びました。20年がかりで、論語の注釈書「論語義疏」を出版。それは、中国に逆輸出されたほどであったと言います。
明和元年(1764)に亡くなりました。
昭和三年の湘南電気鉄道(京浜急行)の建設により、弘明寺の裏山からこの定光寺に移されてきました。
 
よい季節になってきました。
善光寺道」も良いですが、「甲州道中」も良いかな・・と思い始めています。
 
よく拝見する、慶應通教のブログがあります。
この3月に晴れてご卒業!卒業式の様子も紹介されていました。
多くの通信塾生の奮闘記ブログに励まされながら、匍匐前進あるのみです。
 
今週の前半は会食と出張です・・「日本史概説」を1コマ、明日の分を先食いしておきました。うん・・まだまだ気力は十分あり!です。