慶應通信の振り返り⑫です。

少し気の早い振り返り・・その⑫も前回(21日)に続いて卒論についてです。
 
とにかく長丁場です。
結論(落としどころ)をイメージして、そこ(ゴール)からスタートラインまでを遡る感じで、論旨展開を考えました。
 →卒論指導登録・・指導教員が決まるので、これ大事です(指導教授を学生側から希望することもできます) 
次に粗々の目次を作成。それにトピックセンテンスを付与する形でレジュメを作成しました。
 →卒論指導時に提出・・私の場合はゼミ方式で行われ、当日の発表と討議用 
  のレジュメの席上配布が決まりでした。
都合3回の卒論指導を経て、卒論提出許可となったのですが、レジュメの作成は毎回同じことの繰り返し。その作業中で不明な点を指導教授に質問したり、ゼミ方式のメンバーの意見を参考にしたり・・という流れです。
私は案外スムーズに論文制作が進みましたので。あまり質問はなかったのですが、第2回の指導時に大きなヤマがありました。
と・・その前に、もう一つ大事なこと。
参考文献についてです。
先行研究が極めて少なく、状況証拠?で外堀を埋めていく・・形で進めるしかなかったので、とにかく文献をあたることには労を惜しみませんでした。
卒論に「参考文献」として記したものが165文献。空振りも含めればそれ以上の文献に目を通したことになります。
 
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参考文献のコピーや書写の綴りです。
テーマが私の住んでいる横浜ということもあり、横浜市中央図書館へは毎週通うヘビーユーザーとなりましたが、横浜市域に関する文献はやはりここがダントツ!な感じがしました(たしか市制レベルでの図書館としての蔵書数は全国一とか・・)。
もちろん、神奈川県立図書館や横浜開港資料館の活用もしましたし、国立国会図書館も中央図書館に継ぐ頻度での活用となりました。
さて、前述の「大きなヤマ」です。
落としどころをイメージして、論旨の組み立てを・・のとおりに進めてきましたが、文献を漁り、少しずつ状況がわかってくるうちに、当初想定した「落としどころ(仮説)」を変えなくてはならない状況になってしまったのです。
ちょうど、第2回指導の2ヵ月くらい前のことです。
その根拠となる事象を整理して、半分くらいまでもどり、論旨を組み立て直すという作業を行い、卒論指導に持ち込みました。指導教授からはその作業に関しての評価をいただくことができ、加えてサブタイトルの変更を提案されました。
そこから、8月上旬と決めていた初稿提出日に向けての論文制作作業(実際に文章にしていく)にとりかかり、811日に初稿提出。そして、9月入り修正版を提出としました。テーマ毎、部分的に先行して進めていたものをとりまとめ、文章を改め、体裁を整えるというプロセス。そして大切な「落としどころ」を加えて、無事「卒業論文」を完成させることができました。
「大きなヤマ」のおかげで、論旨展開に厚みを出すことができました。加えて、広い視野をもって進めることにも繋がりました。
肝心なことは、変えたのは「テーマ」ではなく「落としどころ」ということ。「テーマ」がしっかりしていると、なるほど・・という感じをもちながら、改めての論旨展開が可能となります。
スミマセン。「自画自賛もいい加減にしろ!」と言われてしまいそうですが、「論文って何?」それこそ、レポートと・・いや、作文との違いもまともに解っていなかった私の素直な感想であります。
卒論指導のI教授から卒試後にメールをいただきました(私のお礼メールの返信で)。「とても読み応えのある卒論でした」
夜間スクーリング(図書館情報学)の長谷川先生や、オリエンテーションで註の大切さを教えてくださった藤木先生、そして、指導教授の先生に感謝!感謝!なのでした。
 
院試まで3日。