青山通り大山道の続編です!

今日は「青山通り大山道」の続編です。
前回(1月30日)に赤坂見附から田園都市線の江田まで歩きました。今日は海老名まで歩きます。
昨晩、以前勤務していた会社でお付き合いのあった方の命日の集まりがあり、遅くまで飲んでました。転職して5年になりますが、当時の部下が集まって懐かしい話し(もちろん故人を偲んで)で盛り上がりました。
 
で・・今朝の出だしはやや遅め。
お弁当を作って、江田駅に着いたのは9時になってしまいました。
青山通り大山道は国道246号と東急田園都市線に沿って大山まで西進します。田園都市線沿線は開発が進み、石碑など歴史の足跡は少し少ない感じがしました。
市ヶ尾もとても閑静な住宅地です。
地蔵堂です。
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お地蔵さんに混ざって、庚申道標がありました。
向って右下に「江戸みち」左側に「大山ミち」と刻まれています。安永四年のものです。
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大山道は以前に歩いた多くの街道と交差したり重なったりします。
神奈川道(恩田川南岸)と長津田で合流します。その合流地点の少し手前で田園都市線をくぐります。
開通当時の架橋が残っています。
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田園都市線は昭和41年に長津田まで延伸しました。
少し良く見てみると、元々は単線であったことがわかります。機会があったらもう少し調べてみたいです。
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神奈川道との合流地点にある石塔です。向って左側の道を歩いてきました。
舟形地蔵塔には「向テ右リ かな川 左 みそノ口」
地蔵塔台座には「南カナ川道 東江戸道」
と刻まれています。
 
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合流地点からしばらく行くと、長津田宿に入ります。下宿の常夜灯を過ぎ、県道139号線歩き長津田駅入口を過ぎると、右側の高台に大石神社があります。
その手前に上宿の常夜灯があります。天保十四年に建てられたものです。秋葉山講中により建立されました。当時のものが一部のこされて再建されたもののようです。下宿の常夜灯は大山講中により文化十四年に建てられました。
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今日の大山道は、以前あるいた柏尾大山道や田村通り大山道と比べて「大山道標」見当たりません・・
往時の佇まいの残り下鶴間を過ぎて海老名市と座間市の市境を歩きます。
柏ケ谷に「大山道標」がありました。不動明王を冠したものです。
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本日の終点、海老名が近づいてきました。
海老名は古東海道の要衝で、天平十三年に発せられた「国分寺建立の詔」により相模国分寺が建てられました。
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現在では周囲は宅地化されていますが、歴史公園として整備されています。上の写真は国分寺のシンボルである塔跡です。高さ1mの基壇の上に建てられていましたが、古代建築学から復元すると七重で高さは65mほどであったろうといわれています。
下の写真は中門・回廊跡です。
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歩き始めて約6時間。スタートが遅かったのですが、予定の行程を歩き終えました。
昨日は20度にもなるという、暖かい陽気。今日は10度も下がったようです。お天気もよく快適なウォーキングとなりました。
いつもながら感じることですが、歩いていると様々な歴史の”層”と出会います。都度頭の中の歴史本をめくるのですが・・やはり、厚みがありません。
 
さて・・次週です。
次週末は浜松に行きます。病気の父と母、妹家族と会ってきます。浜名湖舘山寺温泉があります。
そこに一泊・・親孝行してこようと思います。