浜松へ行ってきました!

先ほど、17時前に浜松から戻りました。
この週末は、浜松に住む父を見舞ってきました。また、両親の金婚式でもあり、妹とも会いお祝いをしてきました。
私が18歳まで育った浜松ですが、その頃はまだ”浜名郡可美村”と言っていました。
可美村は1991年に浜松市に吸収合併されました。自動車メーカーのスズキの本社があったりと、多くの企業により村の財政が豊かであったため、東西南北を浜松市に囲まれながら、浜名郡の”飛び地”として、可美村がありました。
今は浜松市南区となっています。
とても良い天気に恵まれました。東名高速を使い向いましたが、途中富士山が綺麗でした。
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旧”可美村”は4つの集落で構成されていました。東海道本線東海道新幹線・国道一号線という主要交通路が村を東西に貫いていました。
昨年、旧東海道を歩いた時にも、実家の近くを歩きました。
子供の頃から歴史好きではあったものの、近くを通る「東海道」には全く興味がありませんでした。
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旧”可美村”を走る国道一号線(現在は257号線となり、一号線は海岸沿いのバイパスとなった)には旧東海道の松並木が残ります。舞阪まで10kmと表示があります。”可美村”は濱松宿と舞阪宿の間にあります。
そしてその街道沿いには多くの歴史、史跡があります。
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4つの集落のなかで、一番濱松寄り(東側)にある”東若林”にある八幡神社です。
その神社の前の旧東海道に面して「二つ御堂」があります。
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「二つ御堂」
奥州藤原氏藤原秀衡とその愛妾により天治年間に建てられたと伝わります。京に出向いている秀衡が大病であることを聞いた愛妾が、京へ向かう途中、秀衡の死去の知らせ(誤報)を聞き、その菩提を弔い北側の御堂(阿弥陀如来)を建てたと言います。
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一方、京の秀衡は病気が回復し、奥州への帰国と途中、この地でその話しを聞き、愛妾への感謝の気持ちをこめて南側の御堂(薬師如来)を建てたと伝わります。
この二つの御堂が旧東海道を挟んで向かい合います。
北の御堂は昭和30年に改築、南の御堂は昭和12年に建てられたものであるようです。
「二つ御堂」は小学校の社会の時間に郷土の歴史で勉強しました。が、一昨年からの旧東海道ウォーキングで改めて触れることになりました。
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可美村”には村立の幼稚園、小学校、中学校があります。幼稚園からの”一貫教育?”なので、200人くらいいる同級生で知らない顔はありません。
母校”可美中学校”の近く・・これも旧東海道に面して「秋葉山常夜灯」があります。建てられた年代は不明ですが、旧東海道を歩いていて、このような常夜灯を多く見ることができます。石造ものの、このような木造・・それも立派な彫刻がされているものなどがありました。
 
おかげさまで父の具合は急回復し、元気で舘山寺温泉での一泊を楽しみました。
一泊からの帰路、姫街道を通りました。
気が早いですが、今年の夏休みは実家に泊りながら「姫街道」を歩いてみよう・・と考えています。
 
次週末は知多でゴルフです。以前にご紹介しました15年続くプライベートの会です。発会のころから参加されていた方が先日お亡くなりになりました。
まだ59歳の若さでした。
第29回大会は全員喪章をしてラウンドです。
日曜日は横浜開港資料館でのセミナーに参加です。おかげさまで忙しくしています。
ありがたいことです。