東北地方太平洋地震に罹災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
一昨日の「東北地方太平洋地震」の災害状況が少しずつ判明してきました。
酷い状況です。
日比谷の職場で会議中でした。京浜急行の運転再開が昨日の始発からだったこともあり、会社に泊り昨日の昼前に自宅に戻ることが出来ました。
特に市街地が壊滅した陸前高田市は、容器(ぶりき)用の鋼板を扱う課長時代に、同地に赴き、観光協会の皆様と製缶メーカー、鋼板メーカー、そして取り扱い商社の私が一緒になって、クリーンキャンペーンを行った土地でした。海岸線がとても綺麗で、空き缶などは一つも落ちていない素敵な観光地でした。
一人でも多くのご生存と一日も早い復興を祈念してやみません。
湯島の事務所の非常階段から「湯島天神」を眼下にのぞみます。
営業所の執務室は書類や什器が散らばり、大変な状況でしたが出社した社員と復旧作業をし、4時間くらいで完了させました。
明日朝から行動指示をし、帰路につきました。
帰りに「湯島天神」に寄りました。立ち寄りの目的は二つ・・・一つは愚息の高校合格のお礼です。
正面の鳥居は銅製で、寛文7年(1667)同8年の刻銘があり、この時期に寄進された物です。都内に遺存する鋳造の鳥居としては時代も古く、昭和45年に東京都指定有形文化財に指定されました。
新しく建てかえられた本殿前では多くの人々が手を合わせます。
2月8日から3月8日まで「湯島天神」では”梅祭り”が行われていました。
「湯島天神」は学問の神様として有名です。
「湯島天神」は 雄略天皇二年(458)一月 勅命により創建と伝えられ、正平十年(1355)二月郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年(1478)十月に、太田道灌これを再建し、天正十八年(1590)徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に当社を崇敬すること篤く・・・将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心としていよいよ湯島天満宮を崇敬したのである。
(一部HPより)
男坂です。
”梅祭り”は3月8日に終わりましたがまだ綺麗に咲いています。
「復興地蔵尊」です。大正12年9月1日の関東大震災は東京に多くの惨禍をもたらすことになりましたが、当時の町会の有志により”罹災者の安寧と早期の復興”を願い、300年来火伏寺としての伝統を持つ心城院の協力を得て”災害復興地蔵尊”を当地に建立しました(右側の石仏)。
「東北地方太平洋地震」からの復興を願い手を合わせました・・
一昨日の会議は東北ブロックのスタッフ四名との会議でした。家族の安否を気遣いながら、高速道路が不通のなか、一般道を東京の営業車で帰っていきました。運転者が交代しながら丸一日かけて仙台に着き、家族の無事が確認できました。
私は縁あって5年前に現在の勤務先に転職しました。建築部材の製造販売を行っている会社です。
天井下地材を製造しています。
安心安全は空間をご提供すべく「耐震天井」下地を販売していますが、ゼネコン→工事店経由で聞こえてくる話しは「予算が無い」から従前の天井でかまわない・・というものです。
一人でも多くのご生存と一日も早い復興を祈念してやみません。
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