旧東海道を歩きました。

今年の箱根駅伝は第90回記念大会。昨年大会のシード校に加えて、厳しい予選会を勝ち抜いた合計23校が参加します。
例年どおり、先頭が保土ヶ谷駅を通過する頃に自宅を出て、権太坂下の山谷の交差点で応援します。
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一位の駒澤大学が通過しました。
それにしても、凄い人出です。毎年増えていくような気がします。携帯ラジオで戦況を聞きながら応援していたのですが・・
おや??
「山谷の交差点・・」というレポートがラジオから流れています。 
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こちらです。携帯電話で中継するのですね・・
慶應は残念ながら参加していません。記念大会の今回は学連選抜枠もありません。是非、沿道で三色旗を振って応援したいですね。
ちなみに、午後は卒論に充てましたが、ラジオ&スマホ慶應vs帝京のラグビーを観戦。前半はなかなか良い試合でしたが、後半息切れ・・14-45で敗れました。対抗戦では0-75での敗戦でしたから、善戦です。
 
さて、駅伝を楽しみながら、国道一号線を戸塚方面に歩きました。例によって迅速測図(明治15年陸軍参謀本部作成)で、旧道の佇まいと照らし合わせながら・・ご紹介です。
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地図で左下から右上に記されているのが、旧東海道です。
①②地点から右上に谷地がのびていますが、ここに現在の東海道がはしります。駅伝で走るルート。当時の明治15年の地図には影も形もありませんが・・ 
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①の東福寺です。右にある石塔は弘明寺道と記した道標です。右下にのびる谷地に沿ってのび、山間に上っていく道を指していると思います。 
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②は白幡神社です。駅伝の応援帰りの初詣の人々でとても賑わっています。
地図で急に右上にカーブを切っているところで、現在の国道一号線との分岐点があります。
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地図にも書いてある「品濃坂」は③です。
今では環状二号線で分断され、陸橋が架けられています。 
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坂を登りきったところから振返りました。結構な高低差があります。横浜は山坂が多いのです。
 
保土ヶ谷宿の手前、権太坂を下るまで、尾根道をいくことになります。
趣のある旧東海道を行くと、品濃一里塚があります。江戸から数えて9番目、神奈川県内ではほぼ完全に残る唯一の一里塚で、県指定史跡となっています。写真④のあたりです。 
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こちらが江戸に向って右側。 
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左側の塚には大きな榎の木が植えられていたそうです。東海道を踏破を目指し、ここを歩いたのは2009620日でした。 
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しばらく歩くと、焼餅坂となります。一里塚から一旦坂を下り、国境に向けて登り返す坂です。写真⑤では坂の加減がよく伝わらないのですが、先に行けば行くほど・・急になります。
坂の傍らの茶店で焼餅を売っていたので、その名が付けられたといわれています。 
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坂を登りきると、ここが武相州の国境です。⑥です。ここの大木があったのでしょうか?「武相国境之木」とあります。この辺は「境木」という町名がついています。 
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ここには境木地蔵尊があります。こちらも初詣で賑わっていました。
10,282歩のウォーキングでした。
長の休暇で鈍り気味の体には運動が必要です。出来たら休み中に境木と神奈川宿間を歩いてみようと思います。
 
さて、明日は会社のある日比谷の氏神様「山王日枝神社」に初詣に行ってきます。
その後に会社に寄って、机の上と神棚を掃除して・・毎年の恒例です。
今年は大学受験の息子を連れて、湯島天神にも足を伸ばします。古事記を読む会でご縁をいただいた小野先生(湯島天神禰宜もされています)にお会いできるかもしれません。
もちろん、私の学業成就も祈念してきます。
そして、これまた恒例の箱根駅伝を逆走して帰宅します。
今年は、湯島天神というコースが一つ加わりましたので、例年より早めにスタートすることとしましょう。
 
卒論は第二節を2/3ほど進みました。これから就寝までに手をつけておこうと思います。
第一章は三節構成です。
あと3日、途中不明な点や検証を深めなくてはならない箇所が出てきました。幸い中央図書館が4日から開館されます。
今日、明日で出来るだけ書き進めて、4日の開館日を有効に使いたいと思います。