「木曽路はすべて山の中である」

今週末はウォーキングをお休みして、溜まった雑務の整理をしています。
 浜松の父が病になり、車を引き取ってきました。名義変更の準備をしています。
 先週末の中山道ウォーキングの写真や資料の整理をしています。
 中国語検定まであと1ヵ月です。
 4月から大学の通信教育課程を受講しよう・・なぞと思い、入学のための小論文を書かなくてはなりません。
休日がそれなりに忙しいということは本当に恵まれていますね。
 
木曽路はすべて山の中である」
”旧中山道踏破の旅”でy21が木曽路に入ったのは、昨年の10月10日。記録を見てみると、落合宿の本陣前をスタートして、8:45に「是より北木曽路」の碑の前に立ちました。
美濃と信濃の国境がある新茶屋集落には、往時を思わせる旅籠があります。
「是より・・」の碑に並んで立っている「送られつ送りつ果は木曽の龝」芭蕉の句碑は、藤村の「夜明け前」で主人公青山半蔵の父、馬籠の本陣の当主である吉左衛門と年寄役の金兵衛との会話に出てきます。
 
イメージ 1
新茶屋の宿です。宿の前に「是より・・」と芭蕉の句碑があり、大切に管理されていました。
「是より・・」の碑は島崎藤村によって揮毫されたものでした。
木曽路の一日目は落合宿から野尻宿まで歩いたのですが、自宅に戻り早速「夜明け前」を買い、木曽路十一宿にとことんはまってみよう・・と考えたのでした。
木曽十一宿は三つに分けられ、それぞれの佇まいに趣きがあります。
馬籠・妻籠・三留野・野尻を下四宿
須原・上松・福島を中三宿
宮ノ越・薮原・奈良井・贄川を上四宿
と言う・・と「夜明け前」にあります。京に近いほうが”上”では?とも思いますが、北を上としたのでしょうか?
 
「夜明け雨」は幕末から維新にむけて大きく舵を切る国の動きとそれに翻弄される人々の姿を、下四宿をベースに主人公の青山半蔵と半蔵ととりまく人々の目線で描かれています。
イメージ 7
新茶屋集落から馬籠宿へ心地よい道がのびています。馬籠城を過ぎたあたりから馬籠宿方面です。
このあたりは”平成の国替え?”で長野県から岐阜県中津川市編入されました。現在の生活圏は美濃国ということなのでしょう・・
イメージ 8
落合宿から馬籠宿へ向うには十曲峠をのぼり、往時はそれなりの難所であったのでしょう・・中山道を”歩いて”いると、馬籠宿が岐阜県・・には少し違和感があります。
木曽路は十一宿で木曽路なのです。
イメージ 9
馬籠本陣です。
現在は藤村記念館になっています。手前を右に折れると永昌寺があります。これは「夜明け前」に万福寺として登場します。
半蔵は父吉左衛門の名代として、万福寺の新住職となる松雲和尚を先ほどの新茶屋で迎えます。十曲峠を下って広がる美濃の国から人の往来を通じて伝わってくる国の動きに半蔵は焦り(?)と羨望を覚えます。
 
馬籠宿から馬籠峠を越えて妻籠宿に向います。
馬籠峠手前にある「峠の集落」です。集落手前に「峠の御頭の碑」があります。
これは、安政三年に峠集落の牛方(牛を使い荷駄を運ぶ人々)が中津川の問屋との間で運賃の配分に関する争いがあり、牛方が勝ったことで、牛方の頭である今井を讃えた碑でした。
これは「夜明け前」にも登場する話しです。
イメージ 11
広重の馬籠宿には”馬籠峠”が描かれています。遠望されるのは恵那山でしょうか?
峠の頂上は現在の”国境”岐阜県と長野県の県境になっています。
やはり違和感あり・・です。
イメージ 10
馬籠峠を大妻籠集落に向けて一機に下ります。
この辺はとても山が深く、木曽五木と呼ばれる、尾張国によって管理された銘木に思いを馳せてしまいます
中山道を歩いていると、この木曽五木に関する説明板を見ることができます。
檜木(ヒノキ)・椹(サワラ)・明日檜(アスヒ)・高野槙(コウヤマキ)・ネズコ(木ヘンにネズミ)・・です。
イメージ 12
峠道にはこのような看板です。
半蔵の妻、お民は妻籠の本陣である青山寿平次の妹です。馬籠宿本陣と妻籠宿本陣とを結びつける祝言でした。二つの家は同姓を名乗ってますが、もともとは相模の国は三浦から出て妻籠に落ち着いた青山監物を父祖とする・・
「夜明け前」には両宿に間にある馬籠峠の鬱そうとした描写が見られます。行き来には下男を帯同しますが、往時の雰囲気さながらの光景が残っています。
イメージ 13
 
一石栃立場茶屋跡には「一石栃白木番所跡」がありました。
木曽五木はこのような番所を配置して管理されていました。「夜明け前」でも尾張藩から明治新政府下での森林資源の管理の動きが描かれています。
イメージ 6
馬籠峠を下ると大妻籠集落です。集落にはうだつの立った旅籠が数件残っています。
良い風情の街並みでした。
街道沿いに水車小屋がありました。現役です。
イメージ 2
広重の妻籠です。馬籠と同じく”馬籠峠”が描かれています。
往時から有名な”難所ぶり”だったということでしょうか?
イメージ 3
お民の生家、妻籠宿本陣が復元されています。
妻籠宿は最初に江戸時代末期の宿場町の復元と保存が行われた場所でした。国の重要伝統的建造物群保存地域に選定されています。
イメージ 4
妻籠宿の街並みです。
馬籠宿同様・・多くの人が訪れる観光スポットになっています。
イメージ 5
 
木曽路の旅には四日をかけました。
”駆け足”感は否めません・・二日目から「是より南木曽路」の碑まで「夜明け前」を読みながらの行程でした。
もう一度・・今度はゆっくりと往時の佇まいに触れながら訪れてみたいです。
 
また、木曽路を”復習”してみたいと思います。
 
次の週末は、青山通り大山道の第二段です。
江田から海老名までを歩こうと思います。春が近づくにつれて、お天気も変わりやすくなっています。
晴れてくれればよいのですが・・