2010年の歩き納めは「柏尾大山道」です!

今年はたくさん歩きました。
昨年はじめた旧東海道は5月1日に完歩。無事三条大橋に着きました。
夏休みを使って、草津の追分から旧中山道を江戸に下る旅を始めました。現在、木曽野尻宿まで歩きました。残りは来年のお楽しみです。
横浜を基点とした街道も歩きました。横浜道・神奈川道・・などなど。
 
今年もあと二日。
あいにくの曇り空で寒い一日でしたが、2010年の歩き納めで「柏尾大山道」を歩きました。
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東海道を戸塚方面に向って右に反れます。
朝、6時45分・・まだ薄暗いです。
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有名な柏尾の大山道標です。
ここから、用田~戸田の渡しを経て、糟屋下宿で矢倉沢往還(青山大山道)に合流し大山までのびています。
江戸時代、大山山頂に祀られた石尊社と大山寺を中心に巡礼者を集めた「大山信仰」の道です。
庶民の間に浸透した信仰は多くの参拝者を大山に運び、その道として各地からの「大山道」が発達しました。
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永明禅寺別院の前にある大山道標です。享保十年のものです。
大山道には宝暦年間以降多くの道標が建立されました。
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これは長沼の交差点(厚木市伊勢原市の市境)にある道標です。
このような大山道標が多く見つけることができます。
柏尾大山道は26キロくらいでしょうか?随所に古道らしい趣きと往時の賑やかな人々の往来を想像させてくれる街の佇まいが見られます。
 
浄久寺というお寺がありました。このあたりはとても落ち着いた街並みでした。
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このお寺は長谷川家の菩提寺で知られたお寺です。
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この長谷川家は鬼平犯科帳長谷川平蔵親分とつながりがあります。
寛永二年幕府旗本長谷川正成がこの地(門沢橋)を所領地として与えられました。始祖長谷川正長は元亀三年の三方が原の戦いで戦死。正成はその長子ですが、次子宣次を祖としている家系が平蔵親分に繋がります。
歩いて解ること・・です。
 
柏尾大山道は戸沢橋で相模川を渡りますが、往時は「戸田の渡し」によって、人々の往来が確保されていました。
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戸田の渡しの説明板です。説明板の向こう側には不動明王の載った大山道標(安政二年)があります。
戸田の渡しは歌川広重にも画かれました。
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柏尾大山道は糟屋下宿で日本橋から延びる矢倉沢往還と合流します。
途中、渋田川沿いののどかな風景・・丹沢山系がきれいです。右側のピークが大山。大山道を今後どうやって歩こうか?歩きながらいろいろと考えます。その時間がなんとも言えず楽しいのです・・
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小田急線を渡ると糟屋下宿です。
本日の終点は矢倉沢往還と合流した地点となります。
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バス停前に素敵な佇まいのお宅がありました。
本日の終点です。
 
明日一日・・部屋の掃除をして、資料の整理、読書、中国語の勉強(最近サボり気味)・・y21の年の瀬は静かです。
一年をしっかりと振返って、年明けの元旦に一年の計を立てたいと思ってます。
今年一年・・来年に繋がる種をたくさん得ることができました。
良い年を迎えたいと思います。