久しぶりの「横歴」でした!

今日は久しぶりの「横歴・・横浜市歴史博物館」でした。
その前に、先週の青山通り大山道ウォーキングで”通過”した「大山街道ふるさと館」にいきました。
ふるさと館の前には大山街道府中街道の交差点にあった道標が移設されています。
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ふるさと館は”手作り感”たっぷりの施設でした。
溝の口から多摩川までの街道筋は”大山街道”を一生懸命盛り上げている感じがします。先週もご紹介しましたが、案内板などもしっかり整備されています。
この道標は文政十二年に建てられたものです。
正面は高幡不動尊 南川崎道
左面には 西大山道
右面には 東青山道
と刻まれています。
高幡不動尊高幡山金剛寺の本尊で、古くから大山不動と共に三大不動の一つとして信仰を集めていたようです。
ふるさと館の説明書き(抜粋)
【古代】
大山街道(多摩川付近から足柄峠まで)は律令時代の官道として整備され、古代東海道(五畿七道)の道筋を概ね通っていた。
古代東海道は都と各国の国府を結ぶ交通路として重要な役割りを果たしていた。」
【江戸時代初期】
東海道五街道の一つとして幕府に関係あ大名武士などが多く利用していたため、商人は東海道を避け、大山街道(矢倉沢往還)を物資の輸送路として利用していた。静岡のお茶、秦野のタバコ、相模川のアユ、多摩丘陵の薪や木炭など、沿道の特産物もこの道を通り江戸に送られていた。」
 
勉強になります・・でも実際に歩いてみて更に興味が深まります。
 
横浜歴史博物館の大講堂は満員です!
16周年記念講演で福田アジオ先生の「関東と関西・・生活文化の東と西」を拝聴しました。
y21もよく「関東と関西の違い」・・食べ物や生活習慣、ファッションなどについてよく話したり考えたりします。その違いの背景を先生のご専門である民俗学(ムラの姿や組織と個人の関わり方)的に解説いただきました。
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東海道中山道・・地元神奈川の道を歩きながら思うことは、学校の授業や読書、大河ドラマなど・・から学んだ(?)歴史は節目の出来事やだれもが興味のある争いごとだったりします。
継続している歴史のベースになる一般庶民の民俗史はとても興味深いものがあります。
そういえば、中山道を歩き始めて”木曽路”に入って、本棚から引っ張り出した「夜明け前」に登場する青山半蔵はその周辺の人々から見た幕末~維新の姿は”y21の知っている”それとはだいぶ違うものでした。
 
さて・・次週は三連休です。
中山道を薮原~下諏訪まで一泊二日の行程で歩きます・・金曜日に深夜増バスで名古屋に向うので二泊二日ですね。
帰りに浜松の実家に寄り、父を見舞って来ようと思います。