木曽路・・最終章は雪でした。

今日は横浜、東京でも雪が降り、全国的にとても寒い一日でした。
木曽路・・もちろん雪です。
昨晩、深夜高速バスで東京を発ち、名古屋経由で木曽(前回の終点薮原駅)に入りました。
 
今回の木曽路のハイライトはやはり鳥居峠奈良井宿でしょう・・
おちついた感じが素敵な薮原宿を過ぎるとすぐに鳥居峠へのとりつきとなります。
それにしても雪!トレッキングシューズにして正解でした・・が、スパッツを忘れてしまいました。
 
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鳥居峠です。雪深い(?)山道が続きます。
木曽路最大の難所・・とても厳しい行程になりました。
鳥居峠分水嶺の峠(海抜1197m)です。峠頂上には大きな鳥居があり、御岳山遥拝所があります。多くの石塔がありました。
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鳥居の反対側にあった石仏です。
多くの人々の往来を見、守ってきました。
約一時間をかけて峠を下ると奈良井に入ります。
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奈良井宿の京側入口にはしずめ神社があります。
本殿は塩尻市の有形文化材です。この神社は中原兼遠により鳥居峠に建立され、その後天正年間にこの地に移されました。中原兼遠は木曽義仲の養父。巴御前の父にあたります。
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奈良井宿はとても趣きある街並みです。
木曽路を代表する観光地でもありますが、妻籠宿や馬籠宿に比べ、生活感が色濃く残っています。
天保年間の建物で「中村屋」です。塗櫛の創始者中村恵吉氏の分家にあたる櫛問屋でした。
今は資料館になって保存されています。
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雪の奈良井宿です。静かです。
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奈良井の造り酒屋さんです。お店の佇まいが素敵でした。
奈良井宿の街並みは「日本一の宿場町」として案内されています。
紹介いたしました「中村屋」は以前川崎市の”日本民家園”への移設が決まっていましたが、この地にあってこその価値との考えが村の中でおこり、保存に繋がりました。
わが国における歴史的居住環境再生への取り組みのさきがけでもありました。
 
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奈良井川です。贄川宿を過ぎて片平橋から旧橋を望みます。
鳥居峠は”分水嶺の峠”です。鳥居峠を越えて中山道と並んで流れる奈良井川中央アルプスからの流れを集めて日本海へ流れます。
片平橋を渡り桜沢地区(高巻で残っている中山道国道19号線奈良井川をはるか下に見ながら進みます。)を過ぎると「これより南木曽路」の碑です。
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木曽路の北側の入口であり、尾張藩領の北境でした。
この碑は昭和15年に建てられました。
石碑には「・・木曽路ハコノ桜沢ヨリ神坂ニ至ル南二十余里ナリ」と刻まれています。
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10月10日の朝、十曲峠を落合宿から登り、この「是より北木曽路」の碑を見て木曽路に入りました。
そして・・本日、木曽路の最終章です。
木曽路はまさに「夜明け前」の地でした。木曽川に沿って深い谷を縫うように歩きました。鳥居峠を越えると今度は奈良井川の流れに沿うように歩きました。往時に想いをはせるに十分な佇まいが随所に残されています。それも現在の生活が並存する形で・・
中山道踏破の旅ではあまりゆっくりと見ることが出来なかった資料館や史跡を再度訪れ、ゆっくりと楽しんでみたいと思いました。
 
今日は洗馬の民宿に宿泊です。
明日は塩尻峠を越えて、下諏訪まで歩きたいと思います。約20キロ・・決して長い距離ではありませんが雪の具合が気がかりです。