来年2012年は良い年になりますように!

2011年も今日で終わりです。
24時を過ぎれば新しい年になります。
時計は新年が近づくから・・と一秒が短くなったり、長くなったりすることはありません。
でも、良い年だったから少しでも長くとか、厳しい年だったから早く新しい年に・・と思ってしまいます。
 
今年は東日本大震災紀伊半島を襲った大型台風による自然災害。震災ではその自然災害に加えて、福島第一原発放射能被害も多くの禍根を後世に残してしまうことになりました。
来年は謙虚にそして英知を結集して、後顧に憂いの少ない強くて優しい国つくりを・・そして、世界にたいしてもその「絆」を広げていかなくてはなりません。
 
2011年は私にとってとても大切な年になりました。
 
やはり、東日本大震災です。
地震が発生したとき、私は日比谷の本社オフィスで東北ブロックの営業所との会議をしていました。さいたま営業所の営業車を本社に回送し、東北のスタッフはそれを使い一日半をかけて帰り着きました。私も本社泊となりました。
私の勤務する会社は建築内装下地材を製造販売しています。天井の耐震化には従前より全社をあげて取り組んできました。復旧から復興へ・・しっかり仕事をさせていただくこと、そして安心安全な空間を提供することが当社の「社会貢献」と改めて認識させられました。
 
プライベートでは・・
 
慶應義塾大学の通信教育課程に入学しました。文学部の第2類(歴史専攻)です。
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暑いさなかでの夏スクーリングはお盆休みを全て使い切って参加しました。また残暑が厳しい9月末~すっかり寒くなった12月中旬まで続いた夜間スクーリングは業務をしながら週二回の講義に休むことなく出席しました。
とても良い経験をさせていただいてます。卒論までしっかり努め(→やはり"努力"のつとめるです)あげたいと思います。
 
昨年の夏休みから始めた「中山道踏破の旅」は1年と1ヶ月をかけて、無事日本橋にゴールしました。
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木曽十一宿は昨年の10月から今年の2月にかけて歩きました。雪の木曽路はとても思い出深いものでした。
 
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上松宿の手前、寝覚めの越前屋さんです。
 
木曽路は三回に分けて歩いたことになります。一回目は昨年の10月。美濃の落合宿から野尻宿まで。そして、二回目が今年の1月。野尻宿から薮原宿まで歩きました。
三回目は2月。薮原宿から歩き始め木曽路を抜けて洗馬に一泊。二日目は塩尻峠を越えて、諏訪に入る行程でしたが、こちらも雪になりました。
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雪深い鳥居峠ラッセルして、奈良井宿に着きました。
奈良井宿も一面の雪景色。中山道を歩く人は居ませんでした。洗馬の民宿にお世話になりましたが、この時期の降雪はとても珍しいとのことでした。冬に中山道を歩く人も珍しい・・とも。
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木曽平沢漆器店です。木曽路には趣きのある佇まいのお店がたくさんありました。
木曽街道は島崎藤村の「夜明け前」を読みながらの旅でしたが、何度も訪れてみたいところです。
 
五月の連休は和田峠を越えて、佐久平を歩く3泊4日の行程でした。最終日は長かった信濃国から上野国に入り、碓氷峠を下りました。
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田おこしの風景がとても印象的でした。
 
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笠取峠への道。松尾神社の境内には、まだ桜が綺麗に咲いていました。
 
そして9月17日、無事日本橋にゴールしました。
 
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東京はちょうど秋祭りのシーズン。庚申塚商店街のお祭り風景です。
 
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12時07分
日本橋にゴール!です。自分の足だけを使い、中山道沿いの土地に触れ、時には道行く土地の人との出会いがあり・・のとても良い旅でした。
2012年には善光寺道、そして甲州街道くらいは歩きたいと考えています。
 
今年も横浜歴史博物館や都市発展記念館、開港資料館などの横浜市の歴史セミナーや企画展に参加することができました。
新年1月29日には横浜歴史博物館で「東部ユーラシアと日本~遣唐使から広がる世界~」の講演会があります。鈴木靖民館長の記念講演です。もちろん、参加します。
 
今年も一年大変お世話になりました。
好きなことをし、勝手なことをブログに書き留めてきました。お付き合いいただきありがとうございました。
2012年が皆様にとって良い年でありますことを祈念しております。