大山街道探索の旅・・締めくくりは「大山詣で」です。

今日は寒い一日になりました。
柏尾通り大山道(一日)、田村通り大山道(一日)、青山通り大山道(三日)と歩いてきましたが、今日は締めくくりの「大山詣で」をしました。
 
前回、大山ケーブル駅のバス停まで歩きましたが、今日はそこから大山山頂にある本宮まで歩きます。
大山は数回登ったことがありますが、全てヤビツ峠から登り、下社へ下りてくるというルートでした。
 
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大山阿夫利神社の下社です。
本殿の左には「江戸火消し」のめ組から寄進されたモニュメントがあります。
その前を通り、登っていきます・・スミマセン、ここまで、ケーブルで上がってきました。帰りはしっかりと参道を下ります。
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み組の寄進による灯篭と奥がめ組の寄進、剣です。
二區の一番組がめ組、二番組がみ組だということがわかります。
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オーバーウエイト気味なので、かごや道を行きます。
初めて歩く道ですが、大坂より少しは楽なのでしょうか?
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それでも・・相当な上りが続きます。
途中、蓑毛からの道との合流、ヤビツ峠からの道との合流を経て、1252mの頂上が近づいてきます。
頂上付近にはまだ雪が残っています。
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山頂までは28丁を表す石標があります。
距離の裏づけがない”目安”らしいのですが、それでもあと何丁・・と数えながら歩くうちに頂上です。
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頂上からは眼下に絶景が広がります。
相模湾から江ノ島方面です。また、奥の院側へまわり込むと、東京スカイツリーも見ることが出来ました。
大山詣でが庶民の間で講や観光によって栄えたのは。江戸時代中期以降とのことですが、往時はどのような景色が広がっていたのでしょうか?
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奥の院です。
ちょうどお昼時・・多くの人がお弁当を広げておられます。私も手製のお弁当を広げました。
すばらしい景色を見ながらいただくお弁当は最高です。早起きして作った甲斐がありました。
雪がチラつき始めました。
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もう一枚・・嘉永七年と刻まれた本宮前の常夜灯です。
これも、江戸の町火消しによって寄進されたものです。震災の影響でしょうか?一番手前のものが倒壊していました。
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帰りは大坂を下ります。
やはり、かごや道と比べると、直登な感じがします。
昨今の登山ブームの影響でしょうか?多くの人が喘ぎながらも登ってきます。女性の方はカラフルな登山用のジャケットを身につけておられます。
15年くらい前まではよく山登りに行きました。百名山を制覇しよう!などと考えたこともありましたが、仕事が忙しくなり、オーバーウエイトもあり・・しばらく遠ざかっていました。
下り坂・・足にきます。
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途中下りの六丁目付近の「千本杉」です。
この他に、ぼたん岩や天狗の鼻突岩、夫婦杉・・などが途中楽しめます。
大坂は「白山神社」の裏に出て、その参道をくだり、阿夫利神社下社に戻ってきます。
阿夫利神社下社からは・・女坂を下ります。
二度の大山登山の経験がありますが、一回目はケーブル、二回目は男坂を下りました。男坂は幅の狭い階段が続く、きつい下りでした。
今回は女坂です。でも・・キツかったです。
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女坂への分岐道標です。文化五年のものです。
女坂には七不思議と紹介されている史跡があります。
その一つ、子育地蔵です。
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大山不動を少し下ったところにあります。
最初は普通のお地蔵様として安置されましたが、いつの頃からか童のお顔にかわっていた。このお地蔵様に祈ると子供が健やかに育つといわれています。
童といえば・・大山不動(大山寺)では童子の像が石段の両側で参拝者を迎えてくれています。
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それぞれがいいお顔です。
先ほどの子育地蔵を過ぎるとそろそろケーブル駅です。
真玉橋とみつまたの花です。
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同地の大山小学校の生徒さんが植えたもののようです。
ホッとする瞬間でした。
 
大山ケーブル駅からバス停までお土産物店の間を歩きます。
豆腐懐石の案内も多くみられます。一度、大山の味をいただきに来たいと思います。
 
都合6日間をかけた大山道でした。
ところどころに残る雰囲気や、独特な大山道標・・蛇行する旧道の趣き。近場でありながら、とても楽しめたシリーズだったと思います。
道は近世に入り、政治(戦い)の道から経済(物や民衆の移動)へ変わりました。一般民衆は寺社詣でを通じて諸国を訪れ、それを持ち帰り、それが伝聞され・・広がっていきました。
 
次回は再び「金沢道」を歩きたいと思います。
往時の観光道・・その点をしっかりと意識しながら歩いてみたいと思います。