5週間にわたって横浜開港資料館で行われました「ときめきのイセザキ140年」は今日がセミナー最終日でした。
最終回のテーマはイセザキの戦後・・「戦後アメリカ文化とイセザキ」をテーマに横浜市資料室の羽田博昭先生が敗戦とともに横浜に駐留した米軍、そして開港以来”開かれた”横浜ゆえのアメリカ文化の流入と市民への伝播を解説いただきました。
12月16日の新聞で「日本ビクター第一工場ファザードが解体へ・・」という記事を読みました。
このファザードは横浜市の認定歴史的建造物に指定された、同社のシンボル的な建物でした。工場の売却にともない、横浜事業所(旧ビクター入江工場)への移設や復元が検討されましたが、多大な費用負担となることなどから、市に認定解除を申し入れ15日に解除決定されたということでした。
セミナー前に早速行って来ました。
昭和5年に建設された気品あるファザードです。ファザードには犬が蓄音機を聞いている同社のシンボルマークがあります。
写真には写っていませんが、敷地内にはすでに重機が運び込まれていました。
記事を見て訪れる人のため(?)解体工事は週明けからでしょうか?
市は99年の認定後改修費用などで累計900万円ほどの補助をしてきたとのことでした。同社からは市に返還するようです。
「旧横浜船渠第二号ドック」というのが正式名称のようです。
ランドマークへの歩道の下には横浜船渠で使用されていたエアコンプレッサー(大正7年)が飾られていました。日本丸メモリアルパークの入り口にも同じものがありました。
みなとみらいから汽車道に入ります。
旧臨港線の鉄路が新港~海岸通(象の鼻パーク)まで延びていました。
第三回のセミナーでいただいた「モダン横浜」昭和初期の地図にも載っていました。
認定建造物の「港一号橋梁」です。明治40年にアメリカンブリッジ社で製造され、42年に架設されました。この先に同じく「港二号橋梁」、夕張川橋梁から移設されたワーレントラス橋「港三号橋梁(昭和3年)」があります。
鉄路は途中枝分かれし、積み込み・積み出し拠点へ繋がります。
その一本は赤レンガ倉庫へ延びます。
認定建造物の「赤レンガ倉庫」は一号倉庫が大正2年、二号倉庫は明治44年。写真は二号倉庫です。
朝晩はめっきり冷え込むようになりましたが、今日の日中は日差しも十分にあり”散策日和”でした。そのような良い日和に歴史を感じながら歩くこと・・無上な喜び!です。
橋を丁寧に見ると・・
薄く「CARNEGIE」の文字が見えます。
幾度も塗装され判然としませんが、まちがいありません。鉄鋼王と言われたカーネギーは一時米国の鉄鋼生産の約25%を支配しました。
いまでは、カーネギーホールやカーネギーメロン大学で有名です。
もう一つ・・同じ新港橋梁です。「DALZELL STEEL」の刻印が見えます。
デーレツェル製鋼所という英国(イングランド)にあるメーカーです。
鉄には一段の興味が沸く・・y21です。
以前にご紹介いたしました象の鼻パークには保税上屋がありました。旧臨港線の終点でした。象の鼻パークの造成中に四連の転車台が発掘され、現場はそのまま残されています(公園内にあり覗くことができます)。その一つがこのように展示されています。
たっぷりと散策を楽しんだあと、開港資料館でセミナーの最終回です。
横浜には多くの博物館があり、内容の濃い企画展やそれに関連するセミナーが行われています。また参加したいと思います。
来週末の第一候補!です。