久しぶりの古道探索です!

今日の天気予報は「くもり」
降水確率は50%くらい・・と不安な気持ちながらも、久しぶり(三週間ぶり)の古道探索に出かけました。
先週の”机上演習”ネタ検証です。
往時的に言うと・・相州鎌倉郡山之内庄の舞岡村から永谷村にかけての古道探索です。
 
今日は旧東海道の不動坂からスタートです。
旧東海道ウォーキング(踏破済み)でこの地を歩いたのは昨年の7月11日でした。
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不動坂です。旧東海道は一番左のなだらかな坂を行きます。
バス亭はずいぶん先なのですが、戻ってきたのには理由があります。
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不動坂の手前に、柏尾の大山道口があるのです。
江戸時代を通じて流行していた「大山詣で」のための道の一つ。いずれは歩いてみたい・・
「大山前不動尊」には江戸期から明治の初めころの道標が四基に加え、江戸期の灯篭と庚申塔があります。
この辺にあったものを集めたものと説明板にありました。
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旧東海道にはこのような「旧街道らしいお宅」があります。
柏尾から舞岡に入り、旧東海道から離れ、左に入っていきます。
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古道沿いには農地が残り、往時を想像させる蛇行した古道には道祖神庚申塔が残り、期待を裏切らないトレースとなりました。
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右側に道祖神があります。
舞岡地区は東海道鎌倉街道に挟まれた地域で、まだのどかな風景が残っています。今日の探索はこの先の舞岡高校で折り返し・・其の先は次回以降のお楽しみ!です。
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長福寺です。円覚寺派の禅寺で「桜堂観音」があります。
相模国風土記稿には「櫻岡山ト号ス。(中略)・・本尊ハ行基ノ作ナリ。立像長四尺・・」とあり、観音堂の前の石碑(新しいもので、往時のものは道路に面したところに立っている)には、行基の「後の世はわが身も花の桜堂おおいのちかひたのもしきかな」が刻まれています。
桜堂から長泉寺の交差点を右に曲がり、永谷へ向かう登り坂を進みます。
登り切ったあたりが港南区との区境です。
一気に環状二号線まで下り、環状二号線や永谷川に沿って歩きます。
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アパートが立ち並ぶ小さなスペースに田向稲荷がありました。
近くで女の子が三人・・アパートの前でお人形遊びをしていました。声が聞こえて目を向けて・・見つけました。
小さな祠です。
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が・・鳥居の脇に馬頭観音(大正七年)と道祖神(享和三年)がありました。
永谷地区の特にこの辺りは環状二号線と地下鉄の開通で宅地開発や区画整理が進み、なかなか古道のトレースも難しいのですが、今日は違いました・・この後、水田の交差点の手前(大きなマンションの下)にも庚申塔がありました。
大事にされてます。
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永谷天神社です。
日本三軆の一軆・・??
説明板に・・ここはやはり”新編相模国風土記稿”から引用しましょう。
「村ノ鎮守ナリ。神体ハ長一寸八分。縁起ニ拠ルニ。延喜二年。菅公筑紫ニ在リテ・宝鏡ニ向ヒ。躬ツカラ模刻シテ。令子敦茂ニ与ヘラレシ真像ナリトソ。後菅原文時。藤原道長。上杉金吾等。相伝セシテ。明應二年二月。当所ノ領主藤原乗国。(中略)霊夢ノ告ニヨリ。此地ニ始メテ宮社ヲ営み安置スト云フ。(後略)」
菅原道真が自分の姿を鏡に写し刻んだ三体の像の内の一体が奉祀されています。
延喜二年は902年、明應二年は1493年です。
歴史を感じます。
永谷天神社の先を地下鉄上永谷駅で折り返し、永谷川沿いを歩き、平戸白旗神社が今日の古道探索の終点です。平戸白旗神社旧東海道から弘明寺道を進んだ高台の上にあります。
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心配していたお天気もなんとか持ってくれました。久しぶりの古道探索・・堪能です!
 
次回は「鎌倉古道上道」探索を予定しています。晴れたらいいな!