港南区続編です!

今日も暑かったです・・
釣り(本牧海釣り施設)に行こうか迷いましたが、結局、港南区の続編ということで”古道トレース”をしました。
今日は、上大岡から国境越え(大袈裟!)をして、永谷から野庭とまわり、再び国境越えをして日野に脚を伸ばします。
国境越え・・武蔵野国(久良岐郡)と相模国(鎌倉郡)です。
 
今日の起点は青木神社です。大岡川沿いにあり、鎌倉古道の下道からはほんの100mも離れていません。
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青木神社の境内には寛政十二年と刻まれた手水石の庚申がありました。
今回のルートは寺社が少ないことと特に永谷の環状二号線の北側は金石碑の類が少なく、トレースしていく上で厳しい行程でした。
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環状二号線に下りると馬洗橋の説明板がありました。
新編相模国風土記稿には「馬洗川。南北ニ貫ケリ。幅三間。元禄國図ニモ。馬洗川ト載ス。鎌倉古路係リシ頃。此流ニテ馬ヲ洗ヒシヨリ此名アリト伝フ。」と記されています。
再度、環状二号線を渡り返し、北側の丘陵地域を市立南高校まで登り返し、再度、馬洗川まで下ります。南高校で折り返した道が、鎌倉古道の下道と中道の間道です(この道が下道という説が多いですが、芳賀先生の”旧鎌倉街道探索の旅”には間道となっています)。
馬洗橋から野庭への道に入ると、本日初めての石碑(道祖神)に出会いました。
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寛燈童子 安永五年と刻まれています。
ここから、横浜横須賀道路の高架をくぐり、野庭の深部に向かいます。
しばらく行くと三叉路にぶつかります。
y21のトレースでは、鎌倉古道の”間道”はこの三叉路の左から右に国境沿いを通っていたと考えています。
本日の起点から尾根道をきて、一旦ここで下り、右に延び正應寺の前を通り野場から舞岡方面に延びていくという道です。
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大木の下には堅牢地神塔と庚申塔がありました。
正應寺の前を右折し日野に抜けます。立派な長屋門を構える邸宅がありました。明治14年の迅速測図にも載ってます。
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山の上には大きなゴルフ練習場があります。大地主さんなのでしょう。
途中まで雰囲気のある道を鎌倉街道(県道21号線)まで進みます。吉原の交差点で合流、鎌倉方面に歩きます。前回歩いた道です。
途中、日野公園墓地入口の信号を右折、日野川を渡り光明寺前を歩きます。
光明寺にも庚申塔があります。また、境内に稲荷社があり「武州吉原村地蔵堂付安永七年」と刻まれていました。
鎌倉街道は車の往来が激しく、道路拡張時に庚申塔などの石碑が移動(近くの寺社に)させられたことから、退屈なトレースとなります・・が、ありました!
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天和二年と刻まれています。庚申塔のなかでは古いほうだと思います。
庚申塔のうらは横浜名物の”家系ラーメン店”です。それにしても・・「大金星」的出会いです!
しばらく、県道21号線を進み、原乃橋を左折し、港南台駅に向かいます。港南台までの道は古道ではありませんが、駅の近くを通る古道に乗り換えます。
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県道21号線も、この港南台駅から右に延びる道も、トレースの旅は先送りです。写真の手前側に戻るように歩きます。実際はこの幹道と並行する道を歩くのですが、そこにはこのような風景が広がります。
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港南台駅から歩くこと5分くらいでしょうか?
古道らしいウネリもあり期待しましたが金石碑の類は見当たりませんでした。
この先、日野川に架る新橋を渡り、再度県道21号線に合流します。前回トレースした道です。
何気なく歩いていたら、「山王社跡」碑がありました。前回見落としていました。
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帰ってから新編武蔵野国風土記稿を調べると、「山王社村ノ卯ノ方字山王山ニアリ吾妻ヲ相殿トス光明寺ノ持」
と記されていました。
暑い一日でした。今回の終点は岡本橋の碑です。約5時間半。
 
来週末はお客様とのゴルフがあります。
港南区のトレースを三回に分けて行いました。まだまだ歩けていない古道があります。また、見落としもあります。来週は見落としや寺社の確認をする予定です。
迅速測図の国道・懸道・里道・村道までをトレースしていますが、途中で気になる道に出会ったりもします。
それらの道も迅速測図で確認し直してみる予定です。