春の陽気・・近場の古道探索です。

これも環境異変のせい?
一日一日とめまぐるしく気温が上がり下がり・・体調にも影響でかねません。
今日は春らしい陽気でした。昨晩、迅速側図(陸軍測量部編)と現代の地図を見比べて、決めました!久良岐郡本牧領の上大岡村から森公田村(等森三村)あたりを歩くことにしました。
現代では、上大岡から京急屏風ヶ浦、笹下あたりでしょうか?
以前に歩いた鎌倉古道の下道(芳賀先生説)と並走する江戸時代の村道です。
 
最戸町の交差点をスタートし、餅井坂に戻って来るルートです。歩きなれた地域もあり、少し時間をかけて歩くことにしました。
 
最戸町を出て越戸橋で大岡川を渡ると鎌倉古道(鎌倉街道の旧道)です。これは以前に、下道探索で金沢文庫から保土ヶ谷まで歩いた道です。
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右は現在の鎌倉街道です。古道は現在の鎌倉街道としばらく重なり、京急のガードをくぐり右にそれていきます。今日は左側の道を行きます。迅速側図では”村道”と記されている道です。鎌倉古道と並走していることになります。
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京急上大岡駅裏に庚申塔を含む石碑がありました。
これが古道探索の醍醐味です。現在の地図と古い地図を見比べて、実際にトレース(歩く)して「間違ってなかった!」と思う瞬間です。
この”村道”は京急線と交わりながら、古道と並走し、笹下まで延びています。今回は手前で東に曲がり、森浅間神社へ向かいます。
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浅間神社です。武蔵国風土記稿には「浅間神社からの眺望」と挿絵入りで紹介されており、名刹だったことが伺われます。
手前(北側)の汐見台は大規模団地が造成されており、古道のトレースに苦慮しました(実際道を間違えました)。が、災い転じて・・森浅間神社の北側参道口から入ったお陰で、庚申塔に遭遇することができました。
浅間神社は、森三村の鎮守と風土記稿には書かれています。森公田村、森雑色村、森中原村です。
浅間神社へは裏口(山側)から入ってきたことになりますが、この神社前を通り、上大岡村に抜ける道は大変厳しい登り坂だったようです。
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これが、参道脇に通る汐汲坂です。神社の左側を巻くように登っていきます。
帰って迅速側図で確認しましたが、しっかり道が記されています。生活道だったのでしょう・・
京急屏風ヶ浦駅を左に見ながら、今度は環状二号線と並行する古道を歩き、笹下で再び鎌倉古道と合流します。途中、庚申道標を見つけました。南鎌倉道(これは笹下に繋がる道のこと) 北ほどがや(上大岡へ繋がる道のこと)と刻まれています。古道探索の醍醐味です。
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鎌倉街道に関の下という交差点があります。その交差点を右にそれていくのが旧道ですが、今回は左にそれていく古道を歩きます。
この道は、以前に歩いた餅井坂から永谷に向かって延びる二つの弘明寺道(尾根道と尾根下道)につながります。
尾根下道とは福聚院の前で合流します。
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本堂前の大木の脇に多くの石像石碑が並ぶ古刹です。
永谷への道を左にやり過ごして、弘明寺道の尾根道との合流点から餅井坂に向かいます。古道探索の中で歩き慣れた道ですが、逆行なので少し趣きが違います。
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餅井坂です。この先左側に道標があります。
餅井坂の道標は何回も訪れています。近隣の古道探索の起点のような感じがします。餅井坂は登ってばかりで下りは初めてですが、こうして見るとかなりの登り坂だったことがわかります。
 
古道探索は迅速側図と現在の地図を見比べながら推定、トレースをしていきます。
ただ、今回も行き当たりばったり感は否めず、事前の予習(風土記稿等で往時の佇まいを把握してトレースに臨むことの必要性を実感です。
見落とし多く、再訪しなくては・・です。
次週はいよいよ旧東海道を完歩(鈴鹿峠~京/三条大橋)です!!