満開の桜を観ながら大岡川を溯上しました。

昨日はあいにくの天気でした。
風の強く、先週中ごろに満開となった桜が心配でした。
私が住んでいる横浜市南区を流れる大岡川は桜の名所です。この時期には多くの人出があります。
早起きして河口の桜木町から上大岡まで歩きました。
イメージ 1
北仲橋から汽車道です。
カヌーの目線から見た桜もまた格別でしょう・・汽車道はこの先赤レンガ倉庫まで延びます。二つの鉄橋は港一号橋梁、二号橋梁です。明治40年アメリカンブリッジ社で造られ42年に架橋されました。横浜市認定歴史的建造物です。
イメージ 2
大岡川の桜は水面に枝垂れ桜のように咲いており、とても綺麗です。
近隣の大学の漕艇部でしょうか?
イメージ 4
安政五年の日米修好通商条約の締結により、日本の大動脈である東海道(神奈川宿)から離れた横浜村に海外との交易口を設けることにし、早急に横浜村までの陸路の整備が必要でした。
横浜道(吉田橋関門~浅間下)に架かる「都橋」や新田開発により出来た土地(吉田新田)と山手側の土地を分かつように流れる大岡川には多くの橋が架かります。
道慶橋の橋柱のプレートです。「昭和二年九月復興局建造」とあります。
吉田橋から中村川との分岐までの間には11の橋が架けられていますが、そのうち末吉橋(平成19年)、栄橋(平成元年)、井土ヶ谷橋(昭和38年)を除く8箇所が戦前に架けられたものでした。
関東大震災で大きな被害を受けた横浜市ですが、大岡川に架かる橋も例外でな無かったようです。震災後に横浜市復興局により橋が架けられました。
イメージ 5
日枝神社です。
このお社を基点に大岡川中村川に挟まれた地域が吉田新田として江戸時代(明暦年間)に開発が始まりました。新田住民の守護と五穀豊穣祈願のため寛文十三年に社殿が建てられました。お三宮とも呼ばれていますが、新田開発の「人柱」として命をささげた”おさん”という女性にまつわる悲しい伝説が残っています。
イメージ 6
中村川との分岐です。
左側が大岡川、右側が中村川です。中村川は途中で掘割川(横浜が開港場となった以降に開さくされた)との分岐を経て、山下町方面に流れます。
イメージ 7
井土ヶ谷橋から少し入ったところに「井土ヶ谷事件跡地」があります。
文久三年九月にこの地でフランス人仕官カミュが浪人体のものに殺害されました。正面の庚申塔は道標を兼ねており、元禄二年造立、天保十二年再建と刻まれ、右面には「是よりくみやうし かまくら道」左面には「北ほとかや 南かねさわ道」とあります。
イメージ 8
市立大岡小学校です。
昭和47年に開校100周年・・とありました。幕末期、所々に散在した寺子屋をこの地に統合して大岡学舎として発足、その後の学制に基づき学校と呼称されました。明治5年のことです。
大岡川の溯上ウォーキングでは、蒔田公園(中村川との分岐付近)で元気に遊ぶ子供たち、Y校校庭では大きな声を出し部活動に打ち込む高校生や大岡川での漕艇部の練習風景も見られました。
震災・・原発と、私たちは若い世代に大きな禍根を残してしまいました。社会の透明性を高め、問題を先送りしないネクストジェネレーションの英知と勇気に期待したいです。
もちろん、私たち世代も・・決して手遅れではありません。心ある人たちを支持し大きく失ったものを一刻もはやく取り戻し、二度と同じ過ちが起こらない仕組み作りに注力しなくてはなりません。
イメージ 9
弘明寺です。
このブログでも数度となく紹介しておりますが、私の自宅近くにある横浜市最古のお寺です。震災による犠牲者に対する哀悼の念か、復興に向けての祈念か・・いつもの週末より多くの人々が参拝されています。
門前の商店街も大岡川の花見とあいまって多くの人出です。
イメージ 10
弘明寺を過ぎると桜は急に少なくなります。
与七橋が架かる県道21号線(鎌倉街道)を過ぎたあたりからは、大岡川沿いの道もなくなります。中里橋からは菜の花が綺麗に咲いていました。
先週、叔母の葬儀に浜松に帰省した際に食べた”菜の花のおひたし”を思い出しました。
イメージ 3
再び最戸橋で鎌倉街道を横切り、上大岡地区に入ります。
近くには旧鎌倉街道下道(芳賀先生”旧鎌倉街道探索の旅”)があります。当時の大岡川は大変な暴れ川でした。昨年歩いた、笹下川(大岡川支流)の岡本橋記念碑には「雨が降ると歩けないほどであった鎌倉街道を十二か村の人々が協力して改修工事を完成させたことを記念する」とありました。
大久保、最戸両町の鎮守である青木神社を過ぎると、大岡川本流は笹下川(右側)と日野川(左側)に夫々の流れを集めます。
本日の終点です。
 
横浜都市発展記念館で4月16日~6月26日まで企画展「昭和の東海道の旅・東京→神戸」が行われます。昨年から楽しみにしていた企画展です。
次週末はこれで決まり!です。
GWの予定をそろそろFIXしなくてはなりません。大きな余震もあり「自粛・・」も頭をよぎりますが、中山道の諏訪宿(前回の終点)から歩く予定です。そろそろ準備もしなくてはなりません。