なんと三週間ぶり!
中山道から帰ってきてから・・
釣り→釣り→ゴルフ ようやく古道ウォーキングに戻ってきました。
今日も暑い一日でした。でも、日差しは更に柔らかく「秋」ですね。
そんな一日・・
横浜道を歩いてみよう!と思い立ち準備をしてきました。
以下・・横浜市中区のホームページの記載です。長文ですが・・
開港を翌年6月と定めた。
しかし、ミナト横浜の街づくりは開港3ヶ月前の3月になって、やっと工事が始まるという状況であった。 むら・現浅間町交差点付近)から横浜(関内)にいたる「横浜道」と呼ばれる道路を開いた。(当時、
東海道と連絡するには、保土ケ谷から井土ケ谷、蒔田を通るか、神奈川からの舟運しかなかった。)
この道は、芝生村から湿地帯だった岡野・平沼の各新田を経て戸部村まで一直線に通じる道路を 築くとともに、新田間(あらたま)、平沼、石崎の三つの橋を架け、併せて戸部坂、野毛の切り通しを
開き、野毛橋(現都橋)、太田橋(現吉田橋)を架けたものだ・・(後略)』
吉田橋です。ここには関門がもうけられ、開港と同時に賑やかになった当地の人の往来を管理してい
ました。
|
ここから浅間下で旧東海道に合流するまでが、横浜道です。
都橋からの風景です。
大岡川に架ります。川にさった湾曲の建物・・全部”飲み屋さん”です。
夜になって、決してきらびやかではない看板が水面に写る光景・・想像できます!
先ほどの説明にもありましたが、横浜道は”急こしらえ”でした。多くの橋をかけて、何とか体裁を整えたので
しょう。
しかしながら、想像以上のスピードで横浜は発展していきます。
海外に開かれた貿易の拠点としてです。
野毛坂を登り、右に折れるとこのような石積擁壁があります。横浜の豪商平沼専蔵邸のものです。
近々、関内地区の探索もしてみたくなりました。近代化にひた走る力を感じます。
今日のウォーキングは横浜道~旧東海道~相州道と歩きます。
松原商店街です。
とても”安い”ことで有名で、テレビ番組で取り上げられたことも多くあるようです。
これは神奈川宿方面を見ています。人ごみを抜けると、八王子道との追分があります。この道も横浜開港
以来、往来が活発になりました。「絹の道」と呼ばれていたようです。
絹は当時の日本を代表する輸出品でした。
神戸町の庚申地蔵があります。隣には現代の道標です。
右の電柱脇にあるのが道標です。
これには「相州道」「古東海道」と書かれています。
このブログでも紹介しました。その道を今日は相州道を歩いて横切ります。
しばらく行くと、村社”神明社”の立派なお社があります。
相州道は相鉄線と並行して延びていきます。
途中、八王子道との間道もあります。
間道沿いにある杉山神社です。
お祭りの準備に忙しい・・本堂の脇に石塔が保存されています。
道は上星川駅を過ぎあたりから右にそれ、丘陵を登っていきます。
西谷浄水場旧計量機室です。
日本で始めての近代水道が明治20年に横浜で誕生しました。野毛山貯水場です。今は公園になってます。
この先に西谷浄水場があり、横浜水道記念館があります。
y21の住む南区も西谷浄水場の水です!
途中発見したたばこ屋さんです。
趣のある店頭の佇まいです。
今日のウォーキングで「旭区の神社」を回っている方に出会いました。
色々な話しを伺いました。
お名前を聞くことなく別れましたが、とても良い時間でした。
お会いしたのは、小さな稲荷社でした。
お稲荷さんの石像もなく、お社のトタン屋根が赤いことから「稲荷神社なんだろうか?」と問いかけられました。
後に調べたところ「横浜の古道」には稲荷社とのみ記載されていました。
本堂の右側に庚申道標(寛政八年)があり、それに関する記載でした。
その方が「神社は民の力を感じ、寺院は歴史を感じる」とおっしゃられたことが印象的でした。
保土ヶ谷の方と伺いました。また、どこかでお会いできるかも知れません。
久しぶりのウォーキングでブログも長々としてしまいました。