よこはま:吉田橋

おはようございます。
昨日の続き・・吉田橋の周辺を紹介します。
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現在では首都高速羽横線に架かる吉田橋ですが、開港当時は派大岡川という運河に架かっていました。
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吉田橋の上には「吉田橋関門跡」と刻まれた石碑が建っています。「関内」という名前はJR根岸線や市営地下鉄の駅名などで知られていますが、そもそもは、江戸幕府が定めた“関所に囲まれた内側”の場所からきています。
安政5年の日米修好通商条約の締結で開港地と定められた“神奈川”でしたが、幕府の意向により東海道から隔てられた横浜村を開港場としました。そのために急ごしらえで造成されたのが、昨日紹介した「横浜道」でした。東海道の芝生村からの横浜道はここ「吉田橋」の関門に繋がります。
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吉田橋から開港場(現在の馬車道)方面です。
開港から明治維新を経て、横浜は海外との貿易窓口として大きく発展していきますが、吉田橋は明治2年に鉄橋に架け替えられました。交通量の増加が理由でしたが、その設計は英国人技師のブラントンによって行われました。日本で最初に造られた橋脚の無い鉄橋・・とのことです。
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JR根岸線の高架をくぐり、馬車道の交差点には「泉平」さんがあります。好物のお稲荷さんのお店です(美味しいです)。創業天保10年の江戸の札差し泉屋平佐衛門が横浜に移り、商人や人夫相手に江戸前寿し屋をはじめ、二代目が稲荷寿し(高野山参拝の折に伝授された)の商いをしたことからさらに繁昌した・・とのことです。
次回は馬車道を紹介したいと思います。
ここから日本大通の開港資料館まで、西洋風建築物が目白押し!です。