新年会で街道ウォーキングはお休みでした。

昨日は新年会があったため、この週末は街道ウォーキングができません。
で・・近場の「横浜市歴史的建造物」に途中立ち寄りました。
 
横浜市の南区と中区にまたがる地域には「吉田新田」と呼ばれる、新田開拓によって誕生した土地があります。
日枝神社(お三の宮)を基点に大岡川中村川に挟まれた地域で、現在京浜東北線と並行する首都高速(派大岡川を埋め立てた)くらいまで広がります。
新田については、横浜歴史博物館の「平成22年度企画展セミナー」を通じて大変興味深く勉強になりました。
機会をみて、少し深堀してみようかと思います。
 
大岡川から分かれる中村川には三つの古い(認定歴史的建造物)橋が架かっています。
今回はその三橋に立ち寄りました。
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浦舟水道橋です。市大病院に近くに架かってます。
明治26年に旧西の橋(元町・石川町と山下町に架かる)として架橋されたものが、昭和2年旧翁橋として移設され、その後平成元年に浦舟水道橋として再移設されたものです。ピン結合プラットトラスと言われる様式で、この形式の道路橋としては現存する最古のものとのことです。
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”鉄萌え”するy21は鋼に刻まれた刻印を探します。
この浦舟水道橋では「SHELTON」という刻印を見つけることができました。
SHELTONというメーカーは英国のイングランドにあった製鋼所で1840年代にはすでに操業を開始していたようです。詳細は調べないとわかりませんが、いずれにせよ、国産近代高炉の操業が1901年(八幡製鉄所)を考えると、当時の建造物に用いられた鋼材は多く海外から輸入されていたものでした。
以前ご紹介しました、横浜汽車道に架かる鉄橋も然りです。
 
中村川首都高速の高架下を流れます。
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西の橋です。
先ほどの浦舟水道橋から大正15年にバトンタッチされ、架けられました。大正12年9月の関東大震災からの復興の過程で、石川町・元町エリアと山下町エリアを結節するシンボル的な橋梁です。
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谷戸橋です。
この橋も昭和2年に架けられた、震災復興のシンボル的存在でした。かつての谷戸橋は水町通筋に位置し谷戸坂に繋がっていましたが、震災後現在の本町通筋に架け直されました。
震災前の橋の様子はわかりませんが、今は山下公園から元町に繋がる観光要素としての存在感は大きいものがあります。
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途中、山下公園から大桟橋を見ると、ピースボートが停泊していました。
世界一周クルージングの途中でしょうか?「世界一周80日間99万円」で広告されています。友人に聞いたところでは大人気でキャンセル待ちとのことです。
 
 
しばらく、取引先との新年会や会食が続きます。
体調に留意しながら、今週末は矢倉沢往還を歩きたいと思います。
 
少し整理をしてみました。
中期的には
 ①矢倉沢往還をはじめとした「大山道」を歩く
 ②中山道を歩く
 ③横浜エリアの東海道を再度歩く
 ④博物館のセミナーや講演会に参加する
くらいでしょうか・・といっても、盛りだくさんですね。