雪の中山道を歩きました!

上松町桟の民宿に一泊し、今日は薮原まで歩きました。
 
薮原から高速バスで新宿。湘南新宿ラインで横浜に戻りました。
今、自宅でブログを更新しています。
一昨年に東海道を歩いたときには、ほとんど新幹線と在来線を利用していましたが、中山道は深夜高速バスなどのバス便を使っています。
コストも抑えられ、また特に夜行便は時間も有効に使えることから重宝しています。
 
今朝の木曽路は雪でした。
民宿のご夫婦から使い捨てカイロをいただきました。昨日凍った路面ですべり腰や肩を強打してしまいました。特に腰が痛かったのでとてもありがたく使わせていただきました。
 
昨日ご案内したとおり、今日は木曽福島宮ノ越と「木曽義仲」縁の地を歩きました。
イメージ 1
宮ノ越の「義仲館」です。
木曽義仲巴御前が迎えてくれます。受付のおじさんが木曽義仲について熱く語ってくださいました。
郷土を愛する気持ちが強く感じられました。
平家物語」をしっかり読んで、また訪れたいと思います。
近くには91歳で没した巴御前のお墓がある徳音寺があります。
イメージ 2
徳音寺という名の集落を木曽川沿いに歩くと巴ケ淵です。
木曽川の深い淵です。巴御前はここに住む龍神の化身であった・・
 
今回の中山道ウォークで木曽路に入ると島崎藤村の「夜明け前」を読み始めました。確か高校生の頃に読んだきりでした。
夜明け前に出てくる福島の代官山村さまのお屋敷です。
イメージ 4
 
隣の福島小学校の校庭では「どんと焼き」です。
イメージ 5
昨日歩いていた時に見つけた「案内板」には”お松焼き”と書かれていたような気がします。
小正月の行事です。
 
木曽福島の街並みもとても趣き深いものです。加えて今日は雪がチラついて旅情満点!でした。
八沢町に老舗二軒です。
イメージ 6
くるまや本店は代々、福島関所を治める山村代官の屋敷にお仕えし、製粉・精米業を営んでいた水車小屋でした。享保元年創業。明治になって、自家製のそば粉を使った手打ち蕎麦屋として営業を始めたといいます。
イメージ 7
くるまやさんの対面には木曽漆器のよし彦さんです。
創業万延元年・・この八沢の地は木曽漆器発祥の地です。よし彦さんはひのきなど良質な木曽の素材を使って作られた漆器を江戸や京都に卸していました。
イメージ 8
戦国時代に引かれた用水が今も豊かな水量で流れています。
イメージ 9
高札場跡から本陣(旧木曽福島町役場)へ趣きある下り坂です。
本陣跡からのびる道を大手橋で木曽川を渡ると「山村代官屋敷」です。
イメージ 10
木曽福島は谷底に開けた町です。
谷底から上町を過ぎ、池井坂を上ると福島関所跡です。写真は池井坂です。関所の西門が坂の上に小さく見えてます。手前には高瀬家の記念館があります。
島崎藤村の「家」のモデルになりました。
 
途中「吉田洞門」から後ろを振返りました。
中山道はこの洞門の上の高巻の道を行きます。現在は通行できませんが、十四代将軍に嫁いだ和宮の行列が何日も続くのを川向こうの村人が戸のすき間から見ていた・・という話しです。
木曽十一宿も上四宿に入ると山深いです。
 
昨日のマンホールのくだり・・は間違えがありました。
確かに町村が大きく多くのマンホールは期待できないハズだったのですが、以前に中津川市(旧南木曽郡山口村)で見られたように”平成の市町村合併”で大きくなった町村は、従前のままのマンホールが残っています。
たとえば・・木曽福島町日義村は現在では木曽町ですが、二つ(いや・・三つ)のマンホールがあります。
イメージ 3
三つ目・・木曽福島の関所をモチーフにしたマンホールです。
 
今回の木曽路の旅はとてもすばらしいものになりました。
次回は2月の三連休を使って・・と思っています。
いよいよ木曽路を抜け、諏訪に入る旅程になるか・・と思います。