中山道のおさらい(木曽義仲その③)です!

とても忙しい一週間でした。
慶応義塾通信教育課程の夜間スクーリングも始まりましたし、中国語は台風による休講の振り替え授業がありました。
仕事も下期に向けての準備(人事異動や組織変更・・)などで、多忙でした。
 
中山道の振り返り・・
木曽義仲について、もう一回だけ取上げます。
前回、前々回と木曽義仲の平家追討旗挙までの史跡、巴御前との史跡を取上げました。
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義仲館です。前回も紹介いたしましたが、義仲と巴の勇壮な武者姿の銅像は、この地の皆さんの
2人に対する思いがよく現れていて、素敵です。
この地で義仲が育ち、巴との愛を育んでいったという歴史に対しての誇りや愛着を感じます。
 
義仲館のすぐ近くに「徳音寺」があります。
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山門は享保八年に建てられました。
そこには、義仲の廟所があります。平家追討の挙兵をした義仲はその後、北陸に進軍し、倶利伽羅峠の戦いで平家の大軍を破り、入京しました。その後、征夷大将軍に任じられましたが、後白河法皇との確執から、鎌倉軍に破れ粟津ケ原で討死しました。このとき、義仲31歳でした。
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廟所からさらに奥の斜面に、義仲の墓所があります。
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右側には母小枝御前と今井四郎、左側には巴御前と樋口次郎の墓が並んでいます。
 
木曽福島木曽川の谷に沿いにある宿場町です。木曽の桟から御嶽山の遥拝所のある神戸を経て、木曽福島駅前から長坂をくだり、宿場に入って行きます。
木曽川を渡り、山代代官屋敷の前を右に折れて、しばらくいくと、興禅寺というお寺がありました。
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昇龍の庭や、須弥山の庭、そして宝物殿には木曽の歴史や文化を伝える貴重な資料が展示されています。
永享6年(1434年)に木曽家十二代信道が先祖である木曽義仲の菩提のために荒廃していた寺を改建したものです。
この興禅寺にも木曽義仲の墓があります。
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木曽三大寺の一つとよばれ、木曽義仲の墓(遺髪を祀る)をはじめ、木曽家代々の墓があります。また、江戸時代に代官を務めた山村家代々の菩提所でもあるのです。
 
中山道は高瀬家の下から坂を上がり、関所に向かいます。
そして、木曽義仲を育てた中原兼遠が義仲のために勧進した手習い天神のある上田集落に入っていきます。
その先には、前回ご紹介しました木曽義仲の少年期から元服、旗挙の地となった宮ノ越宿があります。
 
次回の「木曽街道」は古い町並みについて紹介したいと思います。
 
慶應義塾通信課程】
 史学概論のレポートがまたもや「不合格」で戻ってきました。再度テキストを読み込み、明日は早朝からリベンジ作業です。