とても忙しい一週間でした。
慶応義塾通信教育課程の夜間スクーリングも始まりましたし、中国語は台風による休講の振り替え授業がありました。
仕事も下期に向けての準備(人事異動や組織変更・・)などで、多忙でした。
中山道の振り返り・・
木曽義仲について、もう一回だけ取上げます。
義仲館です。前回も紹介いたしましたが、義仲と巴の勇壮な武者姿の銅像は、この地の皆さんの
2人に対する思いがよく現れていて、素敵です。
この地で義仲が育ち、巴との愛を育んでいったという歴史に対しての誇りや愛着を感じます。
義仲館のすぐ近くに「徳音寺」があります。
山門は享保八年に建てられました。
そこには、義仲の廟所があります。平家追討の挙兵をした義仲はその後、北陸に進軍し、倶利伽羅峠の戦いで平家の大軍を破り、入京しました。その後、征夷大将軍に任じられましたが、後白河法皇との確執から、鎌倉軍に破れ粟津ケ原で討死しました。このとき、義仲31歳でした。
廟所からさらに奥の斜面に、義仲の墓所があります。
右側には母小枝御前と今井四郎、左側には巴御前と樋口次郎の墓が並んでいます。
木曽川を渡り、山代代官屋敷の前を右に折れて、しばらくいくと、興禅寺というお寺がありました。
昇龍の庭や、須弥山の庭、そして宝物殿には木曽の歴史や文化を伝える貴重な資料が展示されています。
この興禅寺にも木曽義仲の墓があります。
中山道は高瀬家の下から坂を上がり、関所に向かいます。
次回の「木曽街道」は古い町並みについて紹介したいと思います。
【慶應義塾通信課程】
史学概論のレポートがまたもや「不合格」で戻ってきました。再度テキストを読み込み、明日は早朝からリベンジ作業です。