「木曽はすべて山の中である」

「木曽はすべて山の中である・・」
島崎藤村の「夜明け前」の始まりはこんな感じだったでしょうか?
 
島崎藤村は馬籠本陣を預かる家に生まれました。
今、馬籠本陣跡は”藤村記念館”となっています。
今日は中山道のクライマックス? 二大観光地の馬籠宿と妻籠宿を歩きました。
 
朝のうちは雨が降っていましたが、落合宿を出て十曲峠を登りきったころには雨が上がりました。
 
イメージ 1
十曲峠をのぼり落合の石畳に入ります。
石畳は箱根峠で有名ですが、落合の石畳も江戸期のものもところどころ残っており、雰囲気があります。
イメージ 2
「これより北木曽路」の碑です。
この地は美濃と信濃の国境でした。
イメージ 4
「これより・・」碑の対面にこの国境の碑があります。
新茶屋という情緒たっぷりな旅館がありました。
以前はここから馬籠側は長野県山口村だったのですが、”国替え”により、岐阜県中津川市になりました。
今の国(県)境は・・
イメージ 5
馬籠峠です。
ここから、妻籠側(大妻籠という集落がある)が長野県南木曽町・・ということになります。
生活圏が中津川だったために住民投票をして・・と記憶してますが、馬籠宿の観光地としての価値を考えると長野県は惜しいことだったでしょう。
馬籠峠手前の集落です。
イメージ 6
峠や川(渡し)の手前には集落があります。
この集落もとても情緒たっぷりです。
イメージ 7
軒先の風景です。
今回は多くの外国からのお客様ともすれ違いましたが・・「日本!」を感じてくれたに違いありません。
この集落の少し手前で・・
イメージ 8
今度は”軒下”です。
”藍”とあります・・調べてみます。
馬籠峠を下ると大妻籠という集落があります。きれいな沢の清水で虹鱒の養魚場が営まれていました。
そこでの”軒下”です。
イメージ 9
歩いてみなくては知る(見る)ことができない・・
いつも得した気分になります。
イメージ 10
ホント・・今日はよいお天気になりました。
妻籠宿は多くの観光客で大変な賑わいぶりでした。
でも、少し中山道を歩くと、このような風景が広がります。
平地が少ないこの地で水田を維持していくことは、時代が変わっても大変なことだろうと思います。
 
今日のウォーキングはJR中央線の時刻表(・・実際は携帯i-modeでチェック)とにらめっこしながらでした。
というのも、中央線も中津川から木曽寄りの駅は二時間に一本という間隔での運転です。
結果、十二兼駅まで・・と考えていたのですが、一本遅らせて野尻駅まで歩きました。
イメージ 11
十二兼駅の手前(神其橋近く)の道祖神です。
今回も多くの道祖神をはじめとした石塔を見ましたが、多くの坂(峠)の上り下りで疲れたときに出会うとホッとします。
今も往時も同じです・・
イメージ 3
今回の中山道ウォーキングの「KING OF マンホール」です。
”YAMAGUCHI”とあるのは”長野県山口村”です。今は岐阜県に国替えとなり、中津川市となっています。
 
今年の三連休は今回で終わりです。
次回の中山道ウォーキングは一月の三連休かな?と思います。
冬の中山道も楽しみです!