予想最高気温が14℃の軽井沢を7時過ぎに発ちました。昨日の終点「六本辻」から旧軽銀座を抜け、碓氷峠に向います。
旧軽銀座・・18番目の宿場「軽井沢宿」です。往時の雰囲気はほんの少ししか残っていません。おしゃれな旧軽銀座です。
避暑地としてあまりにも有名な軽井沢はACショーという英国人宣教師によって開かれました。
旧軽井沢の別荘地の手前にショーハウスという日本で初めての別荘がありました。
ここから別荘地を抜け、碓氷峠に向かい高度を上げていきます。
碓氷峠は軽井沢からの登りはさほどキツイものではありません。
ほどなく峠に着きました。順調・・です。
と、後ろを振り返ると熊野神社がありました。
こちらも国境上に鎮座しておられます。
この神社、お社は一つなのですが・・
信州側は熊野皇大神社
上野側は熊野神社
で、夫々の宮司、氏子総代で維持されています。なんと御神札、御守りも夫々で用意されています。
ここからが、碓氷峠の真骨頂でした。峠麓の坂本宿までは長いダラダラとした下りが続きます。時々、足下が不安になるような岩場や細い道もありますが、それにしても長い下りのトレイルです。
和田峠ではまだ見られなかった新緑がとても綺麗です。落葉松も新芽が出ていました。
正直、坂本宿側から軽井沢に抜ける、今回の逆ルートはかなり厳しい峠の登りになるだろうと感じました。実際に峠を越えてから多くの茶屋跡がありました。
途中「山中茶屋跡」・・峠のちょうど中間点におかれた茶屋とのことでしたが、当時はこの山の中に多くの人々が済み、集落を形成、学校まであったとのことです。往時の面影は全くありません。
中山道を人の往来があった時期を経て、オプト式の鉄道が開通し、他に道が通り・・旧中山道は一気に時代から取り残されました。しかし、旧道から人の流れを奪った信越線や旧国道は新幹線や高速道路、バイパスにとって変わりました。
峠の麓の宿場町、坂本は寂れていきました。
碓氷関所を越え五領平の辺りからの風景です。
この”駅弁”は陶器でできた容器が特徴で、初めて見た(食べた)時にはとてもめずらしく感じたものでした。
人の動線の変化にしっかり対応しています。
「峠の釜めし」発祥の地です。横川駅のすぐ前にありました。
今回は松井田宿まで歩きました。
日本橋まであと130キロを切りました。これからは通い日帰りで行けます。モバイルパソコンや着替えは不要。
軽装で行けます。それが何よりうれしいです。
沢山たのしみました。
土日は今回の写真の整理と中国語、大学の勉強です!それはそれで楽しいです。