三泊四日の中山道は今日が最終日でした。

三泊四日の中山道も今日が最終日です。
予想最高気温が14℃の軽井沢を7時過ぎに発ちました。昨日の終点「六本辻」から旧軽銀座を抜け、碓氷峠に向います。
旧軽銀座・・18番目の宿場「軽井沢宿」です。往時の雰囲気はほんの少ししか残っていません。おしゃれな旧軽銀座です。
避暑地としてあまりにも有名な軽井沢はACショーという英国人宣教師によって開かれました。
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旧軽井沢の別荘地の手前にショーハウスという日本で初めての別荘がありました。
ここから別荘地を抜け、碓氷峠に向かい高度を上げていきます。
碓氷峠は軽井沢からの登りはさほどキツイものではありません。
ほどなく峠に着きました。順調・・です。
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碓氷峠信濃国上野国の国境がありました。国境を赤くペイントしています。その先には蕎麦や力餅を売るお店が・・このお店はどちらの国(県)に属しているのでしょうか?地方税はどちらに?
と、後ろを振り返ると熊野神社がありました。
こちらも国境上に鎮座しておられます。
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この神社、お社は一つなのですが・・
信州側は熊野皇大神社
上野側は熊野神社
で、夫々の宮司、氏子総代で維持されています。なんと御神札、御守りも夫々で用意されています。
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ここからが、碓氷峠の真骨頂でした。峠麓の坂本宿までは長いダラダラとした下りが続きます。時々、足下が不安になるような岩場や細い道もありますが、それにしても長い下りのトレイルです。
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和田峠ではまだ見られなかった新緑がとても綺麗です。落葉松も新芽が出ていました。
正直、坂本宿側から軽井沢に抜ける、今回の逆ルートはかなり厳しい峠の登りになるだろうと感じました。実際に峠を越えてから多くの茶屋跡がありました。
途中「山中茶屋跡」・・峠のちょうど中間点におかれた茶屋とのことでしたが、当時はこの山の中に多くの人々が済み、集落を形成、学校まであったとのことです。往時の面影は全くありません。
中山道を人の往来があった時期を経て、オプト式の鉄道が開通し、他に道が通り・・旧中山道は一気に時代から取り残されました。しかし、旧道から人の流れを奪った信越線や旧国道は新幹線や高速道路、バイパスにとって変わりました。
峠の麓の宿場町、坂本は寂れていきました。
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坂本宿はまっすぐに伸びる街道沿いにこじんまりとした宿場町でした。坂本宿を横切る上信越自動車道のガードをくぐると、妙義山が見えました。
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碓氷関所を越え五領平の辺りからの風景です。
さて・・JR信越線は横川駅が終点です。それまでは碓氷峠を越えて信州まで延びていました。横川には名物”峠の釜めし”があります。
この”駅弁”は陶器でできた容器が特徴で、初めて見た(食べた)時にはとてもめずらしく感じたものでした。
横川が終点となり”峠の釜めし”はドライブインでの販売に軸足を移しました。
人の動線の変化にしっかり対応しています。
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峠の釜めし」発祥の地です。横川駅のすぐ前にありました。
時代と共に人の流れが大きく変わっていきます。中山道に多くの人々の往来があった時期、碓氷バイパスが開通、高速道路、新幹線・・この辺りの人々は多くの大きな変化に晒されてきました。
一昨年の旧東海道の行程でも感じましたが、中山道はその思いをさらに強くしました。
 
今回は松井田宿まで歩きました。
日本橋まであと130キロを切りました。これからは通い日帰りで行けます。モバイルパソコンや着替えは不要。
軽装で行けます。それが何よりうれしいです。
 
沢山たのしみました。
土日は今回の写真の整理と中国語、大学の勉強です!それはそれで楽しいです。