ウォーキング会のこと~その②

おはようございます。
先週末の「ウォーキング会」の続きです。
七部袖では暑く感じる陽気のなか、吉良邸跡に着きました。ここからはy21がナビゲートすることになっています。

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元禄15年(1702)に赤穂四十七士が討ち入りしたことで知られています。史実との整合から、私たちが知る「討ち入り」とはやや様子も違っていたとのことですが、江戸時代中期の有名な出来事のひとつです。

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一昨日に紹介した正門前からはだいぶ距離があることから、吉良邸の大邸宅ぶりが窺われます。

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そして回向院に立ち寄り、一の橋を渡ります。

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しばらく歩いて新大橋通りを渡ると、芭蕉記念館があります。

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ここからは一部前々回のウォーキングルートと重なる部分です。

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万年橋の手前の公園で、y21や当社スタッフがお世話になっている人形町の「登仙」の女将さんから、美味しいカレーパンの差し入れがありました。
特に帝釈天スタート組はお腹がペコペコ。
美味しくいただきました。

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昭和5年に鉄製の橋に架け替えられた万年橋を渡ります。その鋼材にはYAWATA WORKSの刻印がありました。
東京や横浜には関東大震災直後に架けられたこのような鉄橋を多く見ることができます。

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赤穂浪士休息の地」
当時の永代橋際にあった「乳熊屋味噌店」で討ち入りを果した赤穂浪士に甘酒粥を振舞いました。現在は“ちくま味噌”です。
赤穂浪士の討ち入りから泉岳寺への道をたどる「ウォーキング会」の後半ですが、この後は赤穂浪士の話題から少し離れてしまいました。
築地居留地を興味深く歩いたのですが、その様子は次回です。