感動のゴール!中山道「踏破」です

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神田駅の手前です。
日本橋から1kmとなってますが、私にとっては「日本橋まで1km」
昨年のお盆休みから歩き始めて、一年と一ヶ月・・三年前の6月に日本橋をスタートし、京都三条大橋まで踏破、そして、草津宿の追分から中山道を折り返し、本日戻ってきました。
 
今日の行程は蕨宿から板橋宿を経て、ゴールの地「日本橋」までです。
京浜急行弘明寺駅で始発に乗り、京浜東北線に乗り換えて6時30分に蕨駅着。
時間に余裕があるので、ゆっくりと歩けます。
足裏の調子も気になるところ・・
 
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荒川を渡り、いよいよ東京都に入りました。
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荒川の河川敷には多くのグランドがあり、少年サッカーの練習が行なわれていました。
近所の小学生でしょうか?
引率のご父兄とグランドに向って土手を登っていきます。
東京都に入り、一気に”のどかな”風景は見られなくなりました・・
ただ、随所に「古い佇まい」が残っています。
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志村一里塚に隣接する古い商店です。
板橋区の「街並み景観保存地区」に指定されています。
先に見える石垣が志村一里塚・・日本橋から三里、現存する一里塚で最も日本橋に近いものです。
東海道の現存一里塚は私の住む横浜にある信濃一里塚です。
左右共に現存・・すばらしいです。
一里塚の手前、国道17号線から右にそれた細い道は清水坂への道でした。
湾曲する・・日本橋を出た旅人の最初の難所といわれた坂ですが、そこで見つけました。
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わかり難い場所に必ずある・・道しるべです。
本日の行程では、ここ一箇所だった・・と思います。
 
板橋宿は国道17号線を今度は左に入ります。
清水坂からだいぶ離れた「清水町」で左に入っていきます。
板橋の名前は石神井川にかけられた橋の名前からきています。
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この「板橋」の名前は、鎌倉時代室町時代の文献にも出てくる古くからあるものです。
この辺は川岸から石神井川の水面にむかって枝垂れる桜がとても綺麗なところです。石神井川下流に行くと加賀藩下屋敷があった「加賀町」があります。
板橋・・というと流山で捕らえられた近藤勇が処刑された場所でもあります。
JR板橋駅の東口には「近藤勇」墓があります。
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近藤勇は板橋宿の手前、平尾一里塚の付近にあった刑場で処刑されたと伝わります。その後、首は京都に送られ、その後この地に埋葬されたということでした。
供養塔は明治九年に隊士であった永倉新八の手で建てられました。
 
商店街はちょうど秋祭りのシーズンを迎えていました。
旧街道に沿った多くの町内でお祭りが行なわれていました。
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巣鴨地蔵商店街でのお祭り風景です。
この先で国道17号に合流、JR巣鴨駅を左に見ながら山手線を跨ぎます。ここまで来ると、ぐっとゴールが近く感じてきます。
旧白山通りを歩き、本郷追分(日光街道との分岐)を右に曲がります。
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東京大学の赤門です。
雰囲気のある喫茶店を見つけました。
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昌平坂を下り、昌平橋をわたり・・あとは日本橋まで一直線です。
冒頭の神田駅のガードをくぐり、三越ライオンのお出迎えです。
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いよいよ日本橋まで戻ってきました。
この辺りは旧三井財閥の関連企業や銀行が多いところです。
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日本橋三越側の袂には道路元標です。
ここが、日本の全ての道路の基点になります。中山道を歩いているなかでも、多くの土地で道路元標の碑をみることが出来ました。
今日のスタート地点も蕨の道路元標でした。
さて・・
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日本橋です!
東海道中山道・・三年と三ヶ月かけて戻ってきました!!
 
ブログは東海道遠江三河の国境の行程から始めました。
名勝・史跡以外にいろいろな私の興味の対象をご紹介してきました。
訪問いただいた皆様、ありがとうございました!
 
足を休めて、来年には善光寺道を歩いてみたいと思います。
ブログでは、しばらく中山道の旅をテーマ別に振り返ってみたい・・と思います。
また行きたくなりそうです!!