今日で平成24年が終わります。
仕事もプライベートも忙しく、全速力で駆け抜けた一年でした。
東日本大震災から一年を経た頃から、天井の耐震化について多くのお問い合わせをいただき、その対応やさらには、(本来耐震を意識した設計とされていなかった非構造部材である)天井の耐震化への啓蒙活動、安心して任せられる施工技術の広がりを期して、組織を動かしてきました。
ベテランから若手まで、私の組織運営については、いろいろと複雑な思いもあったかと思いますが、期待以上のパフォーマンスをそれぞれの持ち場でしっかりと発揮してくれたと思います。
プライベートは、やはり「慶應通信課程」が中心となりました。レポートの提出や試験、そして夏期、夜間スクーリングは、仕事との両立という点においては、とても厳しいものでした。試験やレポートの結果で低空飛行が続きましたが、最後は何とか調子を上げて一年を終えることが出来そうです。
大晦日の今日は6時に起きて、予定通り「国文学古典研究Ⅲ」の精読と要点整理にあてました。何とかA4で4枚くらいにまとめてしまいたいところ。半分くらい終えました。2日までにⅢは完了してしまい、残りの6日までに「国文学古典研究Ⅳ」を終わらせる・・というのが、計画です。
午後には、父母と浜松に住む妹の家族とで、餅つき。
その後、当初から予定していたウォーキングに出かけました。
その佐鳴湖を一周することにしました。
佐鳴湖へ向かう途中。八幡様がありました。
蛇行する狭い道は旧道の趣きたっぷりで、金石碑などを期待しましたが、残念ながら出会うことは出来ませんでした。
八幡様は新年の準備万端。この地域の氏神様として、年明けには多くの人が訪れるのでしょう・・
佐鳴湖です。
私が子供のころは、決して“良い景色”と感じるような佇まいではありませんでした。
今では、湖のまわりを遊歩道が走り、散歩やジョギングをする方が多くおられます。
とても美しい景色です。
築山殿は今川義元の妹の娘、今川は桶狭間で織田信長に破れ、また、信康は信長の娘、徳姫と結婚します。築山殿としてはこの処遇が面白くなく、甲斐の武田と内通して夫の家康を倒しわが子信康をたてて徳姫を排除、武田と組んで仇敵織田を倒さんと図りました。その動きを察知した徳姫はわが父信長に十二ヶ条の書状を書き、それを読んだ信長は激怒し、家康に、築山殿だけでなく、その子である信康も殺害するよう命じ、家康は泣く泣く二人の殺害を命じます。
佐鳴湖に立派な漕艇場も出来ていました。
私の母校の漕艇部もここにボートを置き、毎日厳しい練習をしていました。
実家から2時間半弱、14,000歩のウォーキングでした。
明日は、遠州灘まで歩き、初日の出をお迎えに行く予定です。
明日の日の出は6時半ごろ。
実家を5時45分頃に出れば間に合うでしょう・・
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特に慶應通信や旧街道ウォーキングでは励ましのコメントをいただきありがとうございました。
来年もよろしくお願い致します。
また、皆様にとってすばらしい平成25年でありますように、心より祈念申し上げます。