リオから学ぶこと

おはようございます。
リオの全てのスケジュールが終わりました。次は東京・・です。オリンピック・パラリンピックの関連建築物は間接的なものも含めて、落ち着かない状況ではあります。
さて、リオ・パラリンピックの総集編(だったでしょうか?)をテレビで見ていたところ、バリアフリーについての話しがありました。リオは施設間移動の導線や、市内などにもバリアフリーの導入が遅れており、パラリンピックの関係者が不自由を強いられるのではないか?ということが大会前の話しでした。少なからず「心配」が無いわけではありませんでした。
ところが、リオの市民からしてみたら、段差があれば、手を差し伸べればよいこと・・、エレベーターのボタンの位置が高くて届かなければ、代わりに押してあげればよいこと・・とのことでした。
先日、青山一丁目駅で、盲導犬を連れた目が不自由な方が、ホームから転落して電車に轢かれて命を落とされたという事故がありました。そこではホームドアの設置が急がれる旨のコメントもあったと思います。今回のリオの話しを聞いて、まず初めにしなくてはならないことについて考えさせられました。
インフラ技術の進歩に頼りすぎたり、それ故に、本来心や目を傾けなければならないことが疎かになったりしていないか?
あくまでも私見です。でも、何か重要なことには目を伏せて、都合がよい方向ばかりに目が向いている感じがしないでもありません。
では、早朝ウォーキング行ってきます。