松山の旅⑦・・最終回

おはようございます。
長々とお付き合いいただきました「松山の旅」ですが、これをもって最終回です。
二日目は「大街道」と「銀天街」のアーケードを歩き、松山市駅から空港行きのリムジンバスに乗るというスケジュールでしたが、市駅のすぐ近くにある「子規堂」に立ち寄りました。

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正宗寺というお寺の境内にある「子規堂」は、住職で子規の文学仲間であった仏海禅師がその業績を遺し、子規が17歳まで過ごした住居を境内に復元したものです。子規が使っていた机や遺墨・遺品・写真や、親交の深かった夏目漱石らに関係する原稿などの文学資料などが展示されています。

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子規が庭園を眺めつつ、勉学に打ち込んだとされる勉強部屋です。当時、軒下に増築されたこの勉強部屋には天井がありませんでしたが、狭いながらも良い勉強部屋です。
y21の書斎もこのような佇まいに・・といきたいところです。
 
さて、近世後期から近代にかけての横浜の文化を研究テーマとしているy21ですが、その切り口のひとつが俳諧です。
文化文政期に爆発的人気となった「月並句合」と呼ばれる興行のような催しがありました。子規はこれを「月並調」と呼んで批判し、小手先の技法や風流を装う句作から、写生の方法を機軸に俳句の近代化を推し進めようとしました。現在「月並(つきなみ)」という言葉が「ありきたり」「平凡」という否定的な意味を表すのは、ここに由来するといわれています。
y21の研究はちょうど子規の取組みの前夜の頃にあたります。
子規に批判された俳人たちも登場することから、とても興味がある俳人とその時代なのです。
 

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帰りの機中から伊豆半島の先に雪をいただいた綺麗な富士山を見ることができました。
 
おわり