横浜の歴史的遺構のこと

おはようございます
もう少し、土曜日のこと・・
都市発展記念館の企画展から市大関内拠点に向かう途中に歴史遺構に立ち寄りました。以前に新聞記事を紹介しました「開通合名会社」の遺構です。明治時代に建てられた社屋の一部と考えられています。
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それが昨年のビル解体時に発見され、所有者の意向によって遺構として残されました。
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「開通合名会社」は明治
101月に設立された、横浜港から陸揚げされる貨物の通関・発送取扱業務を営んでいました。
神奈川県庁、開港記念館から道を挟んですぐ近くにあります。
「歴史的建造物」って何?と思うことがあります。
開港前は半農半漁の一寒村に過ぎなかった横浜の歴史は、そのほとんどを「開港後」としています。もちろんそれ以前にも人が住んでいたわけで、相応の歴史はあります(その一部が私の研究テーマでもあります)が、開港地横浜の歴史は150年と少し・・というわけです。東京(江戸)は400年、京都や奈良に至っては1000年を超える歴史があります。
慶應通信のスクーリング「考古学」で明治~昭和初期に廃棄されたゴミ山の“発掘”の話し、そこからは積層されたゴミから当時のその土地の生活文化のありようが現われた・・。「考古学」というのは、何も縄文や弥生時代のものを発掘する学問ではないとのことでした。
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土曜日のフィールドワークで覗いた福富町西通です。戦災復興建築がいまだ健在です。
この辺りは、戦後に米軍の接収を受けてカマボコ兵舎が並ぶ地域でした。返還後にこのような復興建築がたくさん建てられ、いまでもその趣を保ちながら“働いて”います。これも歴史的建造物。
横浜の関内にはこのような佇まいが多く見られます。一度じっくりとまわってみたいと思います。自宅からバイクで
20分もかかりません。
 
 
今日の夜は八景キャンパスで講義があります。