出張帰りに太宰府天満宮と聖福寺を訪れました!

夕方に羽田に着くANA便で帰ってきました。
今日は予定通り、早々に業務を片付けて太宰府天満宮聖福寺に行ってきました。
前職の頃から、出張でいろいろなところを訪れても仕事を終えたらすぐに帰ってきていました。
仕事・・といえば当たり前のことなのですが、それが週末にかかっていてもでした。
 
さて、地下鉄空港線で天神まで行き、そこで西鉄天神大牟田線」に乗り、太宰府天満宮に向かいます。
 
イメージ 1
 
左側は各駅停車“筑紫”行き、右側が特急“大牟田”行きです。
特急にのり、二日市駅西鉄太宰府線」に乗り換える行程です。
 
曇り空。
ときどき霧雨。そうです、福岡はすでに入梅しているのでした。
 
イメージ 2
 
心字池にかかる太鼓橋を渡り楼門に向かいます。
 
イメージ 3
 
楼門をくぐると本殿です。
 
イメージ 4
 
太宰府天満宮は学問の神「菅原道真」をおまつりするお社です。全国の天満宮の総本社です。
901年右大臣から突然太宰府の役人とされ(左遷)、この地に着任の二年後に亡くなりました。墓の上に建てられたのが天満宮で、この本殿は天正十九年(1591)に再建されたものです。
 
さて、本殿にお参りしたあと、宝物殿に立ち寄りました。
入り口に坂本竜馬のパネルと「竜馬の使用した拳銃が見られるかも?」の案内には興ざめしましたが、入ってすぐにあるホールで上映されていた3本のビデオがとてもよかったです。
太宰府は当時、九州全体を治める府庁がおかれていた地でした。
大陸からの攻撃に備えるべく、海沿いの博多から内陸に入ったこの地に開かれていました。664年に唐と新羅の攻撃に備えて作られた「水城跡」は帰りの電車の中からもわかるほど壮大なものでした。
次回はプライベートでゆっくりと時間をとり、来なくてはなりません。
 
太宰府に来た経路を戻り、地下鉄の祇園駅で降り「聖福寺」に向かいました。
 
イメージ 5
 
聖福寺」は建久六年(1195)に日本の臨済宗開祖の栄西南宋から帰国後に、宋人が建立した博多の百堂の跡に創建しました。
日本最初の禅寺です。
 
イメージ 6
 
山門です。カブスカウトの子供たちが来ていました。
 
イメージ 7
 
境内側からの勅使門です。
仏殿は現在改修中です。開祖の栄西が入滅して平成26年で800年にあたるということで、それに向けて改修が行われているようでした。
全域が国の史跡に指定されている名跡です。
 
イメージ 8
 
残念ながら日本で最初の禅道場がある、本殿や庫裏には立ち入ることができません。このようなお寺で参禅させていただくこと・・機会があれば是非体験してみたいです。
気が早いですが、来年4月から福岡市博物館聖福寺展が行われるようです。必ず訪れてみたいです。
・・というのも、江度時代の文化文政期に禅画で有名な仙崖義梵がこの聖福寺の住職を努めているのですが、仙崖上人は横浜永田の東輝庵で修行をしたのでした。
「東輝庵」を中心とした江戸時代の禅宗が卒論のテーマと決めているのでした。
今のところ・・
 
さて、明日の日曜日は「業績評価」追い込みです。
たぶん、一日を費やすことになります。この出張中も時間があればパソコンを立ち上げて格闘していました。
営業前線でがんばっている社員の年二回の業績評価です。
当たり前のことですが、真剣に一名ずつコメントを記入していきます。
慶應通教は・・できれば、少しでもやっておきたいところです。7月度試験を控えているのに全く進んでいません。
 
イメージ 9
 
帰りのフライト前に福岡空港で「お疲れ様」のとんこつラーメンと高菜ごはんです。