梅雨の晴間を有効に!

昨日の鎌倉古道に続き、今日は近場を歩きました。
横浜地区の近世の道のトレースは迅速測図の「村道」以上の道歩いていますが、今回のトレースは大半が「駄獣ヲ通セシムベキ小径」です。
y21が住んでいた前職の社宅が面していた道・・懐かしい道を歩きました。
 
今日の始点は横浜市児童遊園地の交差点です。
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東海道(国道一号線)と交差しています。向こう側に渡りしばらくなだらかな坂をのぼると境木地蔵に着きます。旧東海道はそちら側・
今回のトレース道は手前です。
児童遊園地の隣には英連邦戦没者墓地があります。
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静かな空間が広がります。
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この墓地には、英国をはじめ、インド、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、に一名のオランダ人戦没者の墓があります。
20年くらい前でしょうか?チャールズ皇太子とダイアナ妃が来日された際に、ダイアナ妃がこの地を訪れました。
今回のトレース道は迅速測図で「駄獣・・」に加えて「郡界」とも付されています。
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y21が以前住んでいた辺りです。
だいぶ変わりました・・
右側が南区・・お馴染みの武蔵国久良岐郡、左は保土ヶ谷区武蔵国橘樹郡です。
期待していたのですが、石碑の類は見当たりませんでした。
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尾根道古道の宿命です。
現代の交通網の拡充による切通しで寸断されています。
高架は横羽線、眼下は現代の鎌倉街道(県道84号線)です。往時の鎌倉街道(金沢みち)は向こう側の山の中をいきます。北向地蔵があります。
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一旦「村道」を井土ヶ谷方面に向かいます。
この道はすでにトレース済み。途中に馬頭観音があります。
写真は永田交番の近くにあるかもめパンです。裏手には工場もあり、有名な地元のパン屋さんです。この辺の学校給食はかもめパンなのでしょうか?
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永田白旗神社です。
村道」トレースではないので、石碑の類は諦めていたのですがありました。
このお社は承元年間(1207年~1210年)の創立とありました。この辺りの丘陵の突端にあったのですが、丘陵を切り拓いて造成した折に、この地に再建されました。そのときに境内から出土した阿弥陀如来像(延宝三年)が本堂の右側にわつられ、水盤(天保二年)、地神塔(文政六年)がありました。
白旗神社から永田山王台に向かいます。
宅地造成された碁盤目の道を迂回し、南白百合幼稚園でトレース道に復帰します。
が・・ゴルフ練習場の網にそった小径を発見!早速探索です。
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この先は山王台の西端にあるマンションで遮られていますが、間違いなく白旗神社からの道に繋がるロケーションです。
古道・・だと思います。
「新編武蔵国風土記稿」には山王山眺望図が描かれています。調べてみたくなります。
 
このあと、右に南永田団地を見ながら進み、横浜横須賀道路を渡り、英連邦戦没者墓地に戻ってきました。
三時間弱のウォーキングでしたが、少々バテました。
旧中仙道ウォーキングには相応の準備が必要です。