上道探索です

今日はなんとか天気がもちそう・・と早起きして、一ヶ月ぶりの鎌倉古道です。
町田から先、多摩川に架る関戸橋まで歩きます。
芳賀先生の「旧鎌倉街道探索の旅」に記されている「上道」は多くの道が入り組んでいて、中道や下道のような”これぞ幹道”というものがありません。
途中、町田市観光マップを手に入れ、見てみましたが、今回のルートとは一部異なるようです。
いずれにせよ、中道や下道の間道と併せて再訪しなくてはなりません。
 
JR横浜線町田駅を7:30にスタート。この辺は区画整理が進み、トレースが困難なのですが、鶴川街道を歩きます。
鶴川街道を挟んで菅原神社の反対側に「藤木稲荷」というお社を発見。
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庚申塔(年代不詳)もありました。
土地の人々にしっかりと守られ、大切にされています。
今日のトレース道は中道への間道と養運寺前で合流します。鶴ヶ峰古戦場から成瀬を経て合流する道は3月6日に歩きました。
合流点からは多摩丘陵を登っていきます。
この辺は野津田と言い、趣のある道が続いています。
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この先に野津田薬師堂があります。
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この辺りは薬師池公園が広がり、農地も多くのどかは雰囲気です。
戦国時代には北条氏照の領地であったと書かれていました。
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薬師堂の裏の道はこのように風情があるものでした。
この後、七国山ファーマーズセンターで「町田市観光エリアマップ」を頂いたのですが、そこに記載されている”鎌倉街道上道”はこの道の西側を通っています。
芳賀先生の本ではこの地域を三本のルートが記されていました。
再訪しなくては・・です。
野津田から小野路を経て貝取・関戸と歩きました。
小野路は鎌倉と武蔵国国府”府中”を結ぶ街道の要衝で、往時は栄えていたのでしょう。小野神社には当地の由緒ある歴史が説明されています。
多摩センターの一角、貝取団地を経て、いよいよ関戸に入ります。もう多摩川までは少しです。
関戸の熊野神社です。
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鳥居の先、参道の左側に「霞の関の南木戸跡」があります。交通の要衝のこの地に関所があったとのこと。指定史跡になってました。
ここから関戸橋まで、古道沿いには鎌倉幕府の滅亡に至る古戦場に纏わる史跡が多くあります。
新田義貞率いる鎌倉幕府倒幕軍はこの地(関戸)と分倍河原幕府軍と戦いました。勝利を収めた新田軍は勢いに乗りこの六日後に鎌倉に攻め入り、倒幕を果たしたのです。
熊野神社の先、左側に少し坂を登ると、観音寺があり、道を挟んで六地蔵があります。芳賀先生は「この地は往時処刑場であったという・・関所で不審の者が捕らえられ、この場で処刑されたものと思われるが・・」と解説されています。
その先には合戦供養塔が
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また、少し行くと関戸古戦場跡があり、お地蔵様が奉られています。
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この先、川崎街道との大きな交差点を渡り、多摩川に架る”関戸橋”に着きました。
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丸子橋や二子橋のような、○○渡しの跡とか△△橋の跡・・という案内板はなく、曇り空もあいまって、寂寥感漂う雰囲気ではありました。
橋を渡ると分倍河原を経て、武蔵国府「府中」にはあと少しです。
 
先述のように、上道は徹頭徹尾・・多くの道が並走しています。全ての踏破には時間が掛かりそうですが、少しづつ歩いてみたいと思います。
「迅速測図」のトレース旅
「旧鎌倉街道探索の旅」のトレース旅
そうそう・・来月からは旧中仙道も始まります。