一年お世話になりました!「ご近所編」

今日は予定通り、早起きしてウォーキング。2時間の予定でスタート。
地図は、帝国陸軍参謀本部測量部が明治15年に作成したものです。当時は今のように開発が進みませんから、江戸時代の佇まいがほぼそのまま残されている・・とても、参考になります(してます)。
私が住んでいる横浜市南区六ッ川は引越村と呼ばれていました。
この地図と照らし合わせて、現在の引越村から永田村を歩きました。
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横浜は山坂が多く、ウォーキングはコースによってはとてもタフなものになるのですが、旧道はそれなりの趣きがあって、とても楽しいものです。
 
自宅から尾根道に登り返して、永田へ向います。
①の写真です。
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左は野毛まで続く尾根道です。野毛までの道はその後の開発による切通でしが寸断されてしまっています。
右は永田村(当時)に延びます。
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②です。蛇行している道は古地図の雰囲気は残っています。地図は等高線が狭く、松の字があります。現在の住宅に覆われた斜面から想像ができません。
実は左に進んだ尾根道沿いに、前の会社の社宅があり、3年ほど住んでいたことがありました。
今の家に移って19年・・と言っても、徒歩30分程度。そうは離れていません。それでいて、なつかしくもあります。
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以前に紹介した、宝林寺です。③の場所にあります。もちろん地図には卍のマークがあります。
ここには、江戸時代後期から東輝庵という禅の修行道場がありました。
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そしてその時代、宝林寺は写真の④・・現在の春日神社のあたりにありました。古い文献には宝林寺に向かい合う形で東輝庵があったとあります。
ロケーションがよくわかります。
このあたりでちょうど半分くらいでしょうか?
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旧道は現在の鎌倉街道と併走しています。写真⑤です。この辺までが・・江戸後期に武渓とよばれた地域でした。
先ほどの東輝庵を中心に武渓文化と呼ばれる文化が形成されました。
これは・・そうです、現在取り組んでいる卒論のテーマなのです。
 
これは、明日・・
 
さて、永田から大きな山を隔てて、引越し村があります。ちょうど写真⑥のあたりです。
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旧道は蛇行していることが多く、とても趣きがあります。
いまは、国道一号線の平戸から桜木町まで「平戸桜木道路」が真直ぐにのびています。
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⑦は定光寺です。
この門前で、この旧道が現在の「平戸桜木道路」に合流します。
 
地図の写真の上部に右上から左にカギ状に大きな道が通っていますが、これが旧東海道です。このころはまだ、権太坂切通し(箱根駅伝で有名な)は開通していませんので、保土ヶ谷の元町から境木地蔵尊までは旧道をいくことになります。
久しぶりに歩いてみたくなりました。
 
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久しぶりに良い運動・・気晴らしになりました。
・・卒論もがんばります。