鎌倉中道を歩きました!!

今日はとても穏やかな一日でした。
先週末、雪混じりの雨天の中、鶴ヶ峰で終わった鎌倉古道(中道)の続きを歩きました。
鶴ヶ峰~二子の渡し跡まで・・約6時間。
先週の終点「鶴ヶ峰二俣川合戦の碑」からスタートです。
荒天で写真もボケボケでしたが、今日は大丈夫です。
碑の後ろには帷子川です。その先は”万騎が原”という地名がついています。畠山重忠が134騎を率いてこの地に着いたとき、北条勢は二俣川をはさみ多くの軍勢が陣を張っていたということからその名前が付きました。
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中道の主道もやはり多摩丘陵南部の尾根道を行きます。ほとんど常にその場所の最高地点を歩いている感じがします。今回も多くの登りと下りがありました。
旧東海道(現在、宮の渡しまで踏破)も並行してあるいていますが、ほとんどが平地です。中世と近世・・趣きは全然ちがいますね。
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青砥町にある庚申塔です。古道は右側を行きます。
青砥地区は鎌倉幕府の名吏"青砥藤綱"の地か?東京の葛飾区にも青砥という地名があります・・
しばらく歩くと「北山田中山線」道路の延伸工事をしていました。古道らしい趣きは確実に削られていきます。
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荏田に入ると造成された宅地に瀟洒な邸宅が並んでいました。この辺の古道はトレースが難しいです。
荏田高校の脇(これは古道らしい)を過ぎ、池尻橋で幹線道路を渡ります。
寸断・・尾根道を行く古道の宿命ですね。
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今日は夕刻近くに所用があり、早足で進みました(脚がパンパンです!)。
JR南武線東急田園都市線が交差する、溝の口にある庚申道標です。
途中、宮前平を過ぎたあたりから”大山道”に関する史跡(庚申塔、道標)が散見されました。
江戸時代の中期頃から大山信仰が盛んになり、江戸から大山に繋がる”大山道”が設けられました。
鎌倉古道歩きは日本の中世史ですが、近世史にも興味がわいてきました。
今は・・神奈川の中世史(鎌倉古道)に集中!です。
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二子の渡しまでは”大山道”と”川崎フロンターレ”で町おこし!です。
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高津にある道標です。大山道の資料館(近々訪問予定!・・と決めました)の前にあります。
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二子の渡し跡に着きました。鶴ヶ峰から約6時間・・途中休憩もほとんど取らなかったので、だいぶ脚にキました。
二子橋が架けられたのは大正14年。その親柱石が残されてます。確か・・丸子の渡し跡にもありました!
それまでは多摩川を渡しにて往来していた・・大正14年、まだ100年も経ていません!
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県内の鎌倉古道中道の主道を踏破しました。
しばらく下道、中道の間道や枝道を歩きたいと思ってます。そうそう・・三浦道もです。
中世(鎌倉時代)と現代のちょうど中間が近世(江戸時代)。
鎌倉古道という中世の道を先達の資料を基に歩いています。宅地や道路の造成が進み、トレースがとても難しい。歩きながら歴史の層を感じます。