今日は一転、冬晴れ!となりました。
気温は低めでしたが、早起きして「スタジイの木と幹に埋もれた庚申塔」を訪れました。
2月6日にこの地を訪れた時には、追上げの分岐から左側の尾根道を歩いたので、今回は右側ルートを歩きます。
この中道の主道は追上げの分岐で分かれてから先の舞岡公園の辺りで再度合流します。
今回は舞岡公園の入口にバイクを置き、前回の左ルートを下り、分岐から右ルートを上り返します。
スタジイの大径木
遠望します。この古木は道の造成により、舞岡公園内に移植されるとのことです。
スタジイの幹に埋もれた庚申塔
前回に訪れた時には道側から見ていたので、見逃していました。
この庚申塔もあわせて移植させるべき・・との声が多いようです。
気温は低めでしたが、早起きして「スタジイの木と幹に埋もれた庚申塔」を訪れました。
2月6日にこの地を訪れた時には、追上げの分岐から左側の尾根道を歩いたので、今回は右側ルートを歩きます。
この中道の主道は追上げの分岐で分かれてから先の舞岡公園の辺りで再度合流します。
今回は舞岡公園の入口にバイクを置き、前回の左ルートを下り、分岐から右ルートを上り返します。
スタジイの大径木
遠望します。この古木は道の造成により、舞岡公園内に移植されるとのことです。
スタジイの幹に埋もれた庚申塔
前回に訪れた時には道側から見ていたので、見逃していました。
この庚申塔もあわせて移植させるべき・・との声が多いようです。
前回歩いたルートを追上げ分岐まで下り、折り返します。
左・・尾根道が前回のルート(今日はここまで下ってきました)
右・・今回のルート(舞岡公園で左ルートと合流します)
写真の左端の道路標識の下に道標があります(ぐみょうじ道・・と読めました)
今回の右ルートは予想に反して(うれしい誤算?)往時の趣きが所々残ってます。古道に面して農家が点在し立派な門構えのお宅が点在します。
長屋門
芳賀先生の本にも掲載されていた立派な長屋門を構える農家が残ってました。芳賀先生の「旧鎌倉街道探索の旅」は初版が昭和56年、取材も入れれば少なくとも40年近くは前の写真と思います。
藁葺き屋根はその後葺き替えているのでしょうか?
大切に保存されています。
西谷地区(現在は本郷台という地名に変ってます)に向かい歩きます。
途中、道祖神と庚申塔がありました。一番右の庚申塔が最も古く、元文三年(1738年)とあります。
スタジイの庚申塔も元文二年とありました。
西谷から「すりこばち坂」を上ると左側ルートに合流します。
左側ルートは平地を歩き、最後一気に上り詰める道でした。
左・・尾根道が前回のルート(今日はここまで下ってきました)
右・・今回のルート(舞岡公園で左ルートと合流します)
写真の左端の道路標識の下に道標があります(ぐみょうじ道・・と読めました)
今回の右ルートは予想に反して(うれしい誤算?)往時の趣きが所々残ってます。古道に面して農家が点在し立派な門構えのお宅が点在します。
長屋門
芳賀先生の本にも掲載されていた立派な長屋門を構える農家が残ってました。芳賀先生の「旧鎌倉街道探索の旅」は初版が昭和56年、取材も入れれば少なくとも40年近くは前の写真と思います。
藁葺き屋根はその後葺き替えているのでしょうか?
大切に保存されています。
西谷地区(現在は本郷台という地名に変ってます)に向かい歩きます。
途中、道祖神と庚申塔がありました。一番右の庚申塔が最も古く、元文三年(1738年)とあります。
スタジイの庚申塔も元文二年とありました。
西谷から「すりこばち坂」を上ると左側ルートに合流します。
左側ルートは平地を歩き、最後一気に上り詰める道でした。
来週は・・昨日の続き??
少しずつ春が近くなり、天気も周期的に崩れるようになりつつあります。
お天気任せ・・もよいものです。
少しずつ春が近くなり、天気も周期的に崩れるようになりつつあります。
お天気任せ・・もよいものです。