極寒の鎌倉古道です!

今日の横浜地区はまさに”極寒”の成人の日でした。
一日曇天で日差しがなく時々霙が落ちてくる天気の中、鎌倉古道(下道)の県内未踏破区間(保土ヶ谷
丸子の渡し)を歩きました。
朝、07時30分に保土ヶ谷駅をスタート、11月21日(金沢文庫保土ヶ谷)の終点に向かいました。
寒い~
前回の終点です。
旧東海道から金沢道の分岐があります。
金沢道は鎌倉古道の下道になり、鎌倉古道(下道)は旧東海道とこの地点で交差することになります。
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旧東海道を高札場跡を曲がり、鎌倉古道は一本尾根側を旧東海道と並走し、神戸町へ逸れていきます。
神戸町の交差点に庚申塚がありました。
東海古道と相州道の分岐が傍らに立ってました。
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帷子川を渡り、古道は尾根道をどんどん高度を上げていきます。
三ツ沢競技場をピークに一旦下り、片倉町・岸根公園まで上り返します。
片倉町の旧道脇にはブロッコリーの畑が広がってました。
横浜とは思えない?光景です。
少しうれしくなりますね。
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綱島街道鶴見川を越え、綱島駅東横線をくぐり、日吉本町に向かいます。
途中、飯田家住宅で餅つきをしていました。
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古道は日吉本町辺りで一旦消えますが、地下鉄駅を越え復活、西量寺を巻くように上っていきます。
一旦下って(駒が橋)再度上り返して、いよいよ川崎市です。
下田町から蟹ヶ谷に下る道も造成で消えていました。
芳賀先生の「旧鎌倉街道探索の旅」で”川崎市多摩丘陵北端に往古のまま残る唯一の鎌倉街道”と紹介されていましたが、すっかり”西洋風”の新しい街並みに変身してました。
現在も大規模造成が進んでいました。
古道が蟹ヶ谷に降りきったところ、古道の左右に庚申塔がありました。
日吉本町方面に向かい左側の庚申塔です。元文三年(1739年)としるされてました。
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古道は大戸神社前のT字路で中原街道と合流します。
大戸神社は信州の戸隠神社を歓請したものとのことです。
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さあ!丸子の渡しまで一直線です!
と思ったら、さすが近世の街道(中原往還と言います)です。途中、庚申塔や石仏(地蔵尊)、古民家等々が目白押しです。
徳川将軍小杉御殿前のカギ道など・・またゆっくりと散策したいです。
いよいよ丸子橋です。
土手には丸子の渡し跡もありました。
14時30分着でした。
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無手勝流にはじめた古道歩きです。
旧東海道も並行して歩いてますが、地元だけに少し「深堀り」してみようかな~と思いつつあります。
面白い!!
都市化が著しい地域なので、それなりの落胆もあるけれど歴史の一端を垣間見られた時には言い尽くせない喜び、感動があります。

次は・・鎌倉古道中道の未踏破域(いたち川/新橋~日限地蔵尊)を歩き、その後に称名寺にある金沢文庫を見たいと思ってます。