こんばんわ!y21です。
今日は2009年の歩き納め!鎌倉古道の下道と中道を繋ぐ「ぐみょうじ道」を歩きました。
①下道との分岐”北向地蔵尊”から”日限地蔵尊”まで
②”日限地蔵尊”から”柏尾”までは鎌倉古道の中道
の二本を繋ぐ形となりました。
柏尾からはバス便での帰宅が便利・・なこともあり・・
今日は2009年の歩き納め!鎌倉古道の下道と中道を繋ぐ「ぐみょうじ道」を歩きました。
①下道との分岐”北向地蔵尊”から”日限地蔵尊”まで
②”日限地蔵尊”から”柏尾”までは鎌倉古道の中道
の二本を繋ぐ形となりました。
柏尾からはバス便での帰宅が便利・・なこともあり・・
自宅からバス(神奈中)で南センターまで行き、以前にあるいた金沢道を再度”北向地蔵尊”まで歩きます。
本日の始点”北向地蔵尊”です。
右かまくら道 左ぐみょうじ道 と道標も兼ねてます。
道標にあるように、左ぐみょうじ道を行きます。
首都高横羽線を跨ぐと現在の鎌倉街道の切通しまで、一気に下ります。
京浜急行を井土ヶ谷駅下をくぐり、大岡川まで足を進めると、弘明寺観音に着きました。
この辺は地元・・毎年初詣に行きます。
弘明寺は横浜で最古の寺といわれており、奈良時代の末期には開かれたとのことです。
金沢道を歩いた時には、弘明寺商店街の入口を見ました(写真の背中側)。
弘明寺を過ぎると大岡川(古道下道)から一段高い横浜特有の高台の稜線沿いに歩きます。
餅井坂を喘ぎながら登ります。
餅井坂の入口には道標があります。
これはには「ぐみょうじ道、とつか道、かまくら道」と書かれているとのことですが、風化してy21には読めませんでした・・
判明している古道は、県立横浜南高校まで、その先は宅地造成が進み定かではありません。
”馬洗橋”に往時の名残りを見ますが、環状二号線を跨ぐ陸橋からの風景は、開発が進んだ新しい町です。
日限地蔵尊です。
鎌倉古道はこの辺で、中道から弘明寺道に分岐しました。
せっかくなので、そのまま継いで鎌倉古道(中道)を柏尾まで足を伸ばします。
しばらく行くとこのような道になります。
開発の足跡はすぐ近くまで迫ってますが、このような道が残されていることはすばらしいと、いつもながら思います。
柏尾に着きました。
バス通りは旧東海道です。あと20分ほど歩くと戸塚一里塚です。
本日の始点”北向地蔵尊”です。
右かまくら道 左ぐみょうじ道 と道標も兼ねてます。
道標にあるように、左ぐみょうじ道を行きます。
首都高横羽線を跨ぐと現在の鎌倉街道の切通しまで、一気に下ります。
京浜急行を井土ヶ谷駅下をくぐり、大岡川まで足を進めると、弘明寺観音に着きました。
この辺は地元・・毎年初詣に行きます。
弘明寺は横浜で最古の寺といわれており、奈良時代の末期には開かれたとのことです。
金沢道を歩いた時には、弘明寺商店街の入口を見ました(写真の背中側)。
弘明寺を過ぎると大岡川(古道下道)から一段高い横浜特有の高台の稜線沿いに歩きます。
餅井坂を喘ぎながら登ります。
餅井坂の入口には道標があります。
これはには「ぐみょうじ道、とつか道、かまくら道」と書かれているとのことですが、風化してy21には読めませんでした・・
判明している古道は、県立横浜南高校まで、その先は宅地造成が進み定かではありません。
”馬洗橋”に往時の名残りを見ますが、環状二号線を跨ぐ陸橋からの風景は、開発が進んだ新しい町です。
日限地蔵尊です。
鎌倉古道はこの辺で、中道から弘明寺道に分岐しました。
せっかくなので、そのまま継いで鎌倉古道(中道)を柏尾まで足を伸ばします。
しばらく行くとこのような道になります。
開発の足跡はすぐ近くまで迫ってますが、このような道が残されていることはすばらしいと、いつもながら思います。
柏尾に着きました。
バス通りは旧東海道です。あと20分ほど歩くと戸塚一里塚です。