「東海道ウォーキング」のことを少し詳しく ②

おはようございます。
まわりは「新元号」のことでもちきりです。41日に閣議決定後ということなので、5日後には「新元号」がわかる。
入社式に間に合えば新社会人向けの訓示に盛り込まれたりするのでしょう・・。
さて、「新元号」のことは先の楽しみとして、昨日のつづきです。
薩埵峠を下りきって興津宿に向かいました。
民家が少しずつあらわれ、瑞泉寺を左まわりに歩きます。

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旧道から国道1号線に合流してしばらく歩くと、右側に身延山への道標がありました。

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この道標、前回の「東海道ウォーキング」でも確認しているのですが、もう少し大きかった印象でした。
身延まで三里(12キロ)。この日のゴール地点までの距離より近い・・

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身延道との分岐からわずか先にあった「興津の一里塚」です。
日本橋から41番目。
あぶなく素通りしてしまうところでした。
さて、初日のもう一つのお楽しみ(と同行者のみなさんが言っていた)の「清見寺」です。

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東海道線を跨いでお参りします。

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こちらも昨年に来たことがあります。本堂を見学したかったのですが、法事が行われていました。

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幼少時に今川氏の人質となっていた徳川家康が、住職太原雪斎に師事しこの清見寺で学んでいました。
「大方丈」という大きな建造物の前には「臥龍梅」・・家康お手植えの梅とのこと。右手の鐘楼は県指定文化財です。

仏殿です。左側の斜面には五百羅漢石像があります。

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この「清見寺」は江戸時代に徳川家の庇護を受け、東海道に接し、また駿河湾が一望できることから、朝鮮通信使琉球使の接待が行われました。
庭園とならび、朝鮮通信使遺跡として国の史跡に指定されています。
宿場町っぽい雰囲気をあまり感じることなく、それでも「清見寺」を楽しむことができた“興津宿”でした。
次の「江尻宿」、いまでは清水(清水市静岡市清水区)の呼び名が一般的です。
つづく