「記録史料学演習Ⅱ」のフィールドワーク・・その②

おはようございます。
日曜日の「記録史料学演習Ⅱ」のフィールドワークの続きです。
お天気が心配でしたが、集合時間の13時半ころにはしっかりとした雨あしで降り始めました。荷物にはなるのですが、折りたたみ傘では心もとなく、大きめのビニール傘にして正解でした。

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赤坂御門跡です。
赤坂御門は門前の富士見坂から西へ延びる大山道(矢倉沢往還)の起点でした。今は枡形の一部が残されています。

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赤坂御門の古写真です。
そして古地図。

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(古写真・古地図はhttps://wako226.exblog.jp/15479849/より転載)

赤坂プリンスホテルホテルニューオータニに向かうときに渡る弁慶橋が出来たのは明治22年でしたから、大久保暗殺の時にはこの赤坂御門からプリンスホテルの脇の道を紀尾井坂に向かったことになります。

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このあたりに下る道があったようです。

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この高低さはここに立たなくてはわかりません。

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清水谷公園にある「哀悼碑」です。

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「哀悼碑」の後ろにまわるとホテルニューオータニとの位置関係がよくわかります。
霞が関から赤坂御所(仮皇居)へ向かう大久保利通の馬車が清水谷に差し掛かったとき、島田一郎ら6名に襲われ斬殺されました。

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大久保利通の馬車が通ったルートを歩くフィールドワークでしたが、さらに紀尾井坂をのぼり、喰違坂に出ました。
紀尾井坂を上りきって、ホテルニューオータニの正面入り口の先には喰違見附があり、その先を喰違坂といいました。
ここは明治7114日夜、赤坂仮御所から公務を終えて自宅へ帰る途中の岩倉具視の馬車が襲われたことで有名な場所です。



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赤坂仮御所が見えます。清水谷で暗殺された大久保はここに向かっていたのでした。
本日のゴールです。
今回のフィールドワークには“おまけ”がありました。
その様子は改めて・・