おはようございます。
日曜日の「記録史料学演習Ⅱ」のフィールドワークの続きです。
お天気が心配でしたが、集合時間の13時半ころにはしっかりとした雨あしで降り始めました。荷物にはなるのですが、折りたたみ傘では心もとなく、大きめのビニール傘にして正解でした。
赤坂御門跡です。
赤坂御門は門前の富士見坂から西へ延びる大山道(矢倉沢往還)の起点でした。今は枡形の一部が残されています。
赤坂御門の古写真です。
そして古地図。
(古写真・古地図はhttps://wako226.exblog.jp/15479849/より転載)
このあたりに下る道があったようです。
この高低さはここに立たなくてはわかりません。
清水谷公園にある「哀悼碑」です。
「哀悼碑」の後ろにまわるとホテルニューオータニとの位置関係がよくわかります。
大久保利通の馬車が通ったルートを歩くフィールドワークでしたが、さらに紀尾井坂をのぼり、喰違坂に出ました。
紀尾井坂を上りきって、ホテルニューオータニの正面入り口の先には喰違見附があり、その先を喰違坂といいました。
赤坂仮御所が見えます。清水谷で暗殺された大久保はここに向かっていたのでした。
本日のゴールです。
今回のフィールドワークには“おまけ”がありました。
その様子は改めて・・