おはようございます。
日曜日の「京浜歴科研フィールドワーク」の報告は最終回です。
赤門の東福寺の赤門は町名(赤門町)にもなっています。
創建以来、戦災などで7度焼き尽くされましたが、再建をくりかえして、今のお堂は昭和35(1960)年のものです。
普門院です。
ここ!です。
普門院には昭和20(1945)年5月29日の大空襲による火災で割れた石碑があります。
背後には切り立った山が迫るこの辺りは、火災から逃げ場を失った多くの人々が亡くなったというお話を聞きました。
ゴール地点の「道慶橋」です。橋を渡った先は江戸時代初期に拓かれた「吉田新田」です。大岡川を渡ることに難儀していた住民のために道慶という僧が橋を架けたことから、この名が付きました。
橋のたもとには「道慶地蔵尊」が祀られています。
さて、これからお弁当を作って市ヶ谷です。その後、京浜歴科研の月例会(勉強会)というスケジュールです。