鎌倉道の未確認(未トレース)箇所を訪れました。

昨日、旧東海道ウォーキングから帰還。
今日は連休最終日。朝から・・散髪→図書館と順調に予定を消化。帰宅後に連休中の旧東海道ウォーキングの整理とブログ更新。ここで14時。
思い立って、3月6日の鎌倉古道トレース(中道/鶴ヶ峰~町田本町)時に確認しないままでいた、
①六つ塚
②梅田谷戸の古道トレース
に向かいました。
 
六つ塚です。
前回のトレース道から若干外れており確認しないままでした。
このあたりには二俣川鶴ヶ峰の戦いにまつわる史跡が多くあります。六つ塚はこの戦いで破れた畠山重忠とその家臣が六つの塚に葬られています。
イメージ 1
塚の一つには花が供えられています。
このような塚が六つあります。畠山重忠はこの地で破れ没しましたが、当地では今も丁重に扱われています。
イメージ 2
 
六つ塚を後に、古道のトレースに向かいます。
未確認の古道(といってもトレースなので歴史的判断に基づく”未確認”な箇所は多いのですが・・)とは、駕籠塚から水道路が延びる尾根道をトレースがズーラシアにて遮られた箇所です。
ズーラシアの造成により寸断された古道トレースを入口への道へ迂回し、古道トレースに戻ろうとしたのですが、確認できませんでした。
その地点からスタートです。
イメージ 3
この先に左に下りる階段がありますが、それはズーラシアの臨時駐車場へ降りる道。古道は手前・・水道路の進行方向に向かって右側にありました。
イメージ 4
このような原風景に近い古道のトレースは造成が進む中で難しくなってきました。写真の左側にはズーラシアの駐車場があり、いずれ入口から新道が延びバス道に繋がります。
水道路の写真にも大きな建機が見えるように、いまだ造成進行中です。
この先、梅田谷戸へ下ります。
前回は雨が降ったのですが、今回は快晴。
 
次回は・・・考えます。
鎌倉古道は中世の幹道です。が、当時の名残(道標等)はありません。道標や庚申塔はほとんどが江戸期以降のものです。江戸中期以降は人の往来も盛んになり(軍用道から生活道へ)結果、中世道のトレースも難しいです。